2020年5月31日日曜日

仁斎の書(その2)

「居易以俟命」(易きに居りて以て命を俟つ)の「居易」は「安らかな境遇にいて」という意味らしいが、さきほど読んだ伊藤仁斎の『論語古義』のところに、もう少し深めた開説があったので、ご紹介しましょう。

「その安んずるところを察せば」為政篇
「察するとはいっそう詳しくみることである。安んずるとは、こころに楽しむことだ。おもわくは善であったとしても、心に楽しんで善を行っているのでなければ、それは自分の心をおさえてしまっているだけのことだ。時間がたてば、おもわくが変わるにきまっているのだ。」

 孔子の人物評価は3点
 ①為るところ:行為が善であるか
 ②由るところ:思わくの根源が善であるか
 ③安んずるところ:善を楽しんで行っているか

 なんと奥深い。とうてい追いつけない境地だ。
 でも、仁斎は、一歩づつ近づこうではないか、というのです。堀川通りの反対側に、うんと厳しい山崎闇斎がいて、仁斎宅にも指導の怒鳴り声が聞こえたそうです。それに引き替え、仁斎先生は、丁寧でやさしい。
 

2020年5月30日土曜日

『内経』こころ学

 『内経』こころ学を目指して、『医道の日本』に連載28回。2年半ですね。個別を紹介していただけで、全体像は未完成。

 なので、このコロナ休みを利用して、全体像を構築中。まあ、これがむずかしい。過去のノートを取り出し、文献をもう一度読み直し、の繰り返し。過去のノートは、あまり参考になりませんでした。最初は、これでいいと思っても、熟考をかさねると、ピントはずれだったりです。

 全体像の構築はなかなか難しい。最初のころは、コロナニュースをみてましたが、きりがない。行政は科学に順えばよいし、われわれは行政にしたがえば良いのであるから、個人的にコロナ情報を拾いあつめるのは、シャットダウンしています。その分を、こころ全体像構築にあてています。

 こういう時に閃きがあったり、見落としを見つけたり、よいコロナ休みです。目標は「図解」。
 
 

2020年5月22日金曜日

離島ぐらし

 ここ2か月、半径500メートル以内が生活圏。これは、母方の実家の、離島ぐらしとおなじではないか。

 人を押しのけて電車に乗る必要もないし、見苦しい人々を見ることもないし、講義、講演も無いからおじけることもないし。実に平穏な2か月でした。これも、離島ぐらしとおなじではないか。

 離島に住んでいないけど、離島暮らし。

 生活習慣も乱れないし、こころも平安で、このまま行ったら天寿を全うできるな。と思っているところ。祖父は89歳、祖母は91歳。母は90歳。父は67歳。母方の血筋を引けば、間違いない。

 というわけで、自粛解除は、良し悪し入り混じった心境です。

 

2020年5月20日水曜日

仁斎の書



 わが家に、新人さん。伊藤仁斎の「居易以俟命」(易に居して、以て命を俟つ)が来ました。力強くて良いですねえ。

『中庸』のことばで、「君子居易以俟命、小人行険以徼幸」(君子は易に居して以て命を俟つ。小人は険を行い幸を徼む)、つまり君子は安全な所にいて運が巡ってくるのを待ち、小人は冒険をして幸いを求める。

 単純に、安全な所といえばシェルターの中。そういうところで、ただ天命を待つことを、仁斎が願うわけがない。どのように解釈したのか、知りたくなりましたが、仁斎に『中庸』の注釈書は無いから、『論語古義』ほかの著作から探すほかない。

『論語古義』顔淵篇「死生 命あり」に、「天命はおとなしく甘受しなければならぬ。人事は尽くさねばならぬ。天命をしる者は、自分の力を尽くしたうえで、ひとすじの毛ほどの期待をも天命に対して持ってはならぬし、怨みをもってもいけない。」という解説がありました。

 君子は心安らかな境遇(人事を尽くし、一点のくもりがない心)で天命を待つべし。
 小人は心険しき境遇(中途半端で、曇ったこころで)で幸福を追いもとめる。あかんよ。
 おそらく、こんな気持ちを込めて、書いたのだろう。ふむふむ。

【追記】
 なにやら良い墨の香りがするのです。300年も前のものなのですが・・・







 
 

2020年5月17日日曜日

不要不急

 レナウンが倒産。
 30歳くらいの頃、ブランドの1つ、ダーバンは、あこがれでもありました。ちょっと上のクラス。
 不要不急でいえば、買わないかな。デパートをはじめとする贅沢業界も、苦しくなりますね。コロナ以前でも大変だった。

 福薗亡くなる。
 井筒3兄弟の長男。この前、2男の逆鉾も亡くなったし。3男だけ残って、つらいだろうねえ。同年代なので、ショック少し。

 衛生学園。
 6月から衛生学園で臨床実習の手伝いはじまる。6月だけ4回、1時間目から。満員電車いやだなあ。ということで、前日泊することにしました。満員電車のぎゅうぎゅう感はすきなのですが。

 不要不急。
 わが鍼灸業界はどうなのだろう。と案じている場合でなく、この間に閉じられた、陳腐な鍼灸を、開かれた、モダンな鍼灸にしてみたい。開かれて、モダンのヒントは、山脇東門「東門随筆」に在り、と思って、せっせと読んでいます。

2020年5月14日木曜日

東門随筆

右は、山脇東門の「東門随筆」。日本で最初に解剖をした山脇東洋のむすこさん。ご本人も解剖をしています。

 昨夜、10時ころまで校正していたのですが、どこまでやったか印をつけていないので、あ~、と苦悶している最中。

 基本的態度は、物事は曖昧にしないで、きちんと突き詰めようよ。ということです。中国医学の最大の欠点があいまいですから、なるほどです。

 たとえば、「医は意なり」といい、治療はことばで説明できないものだという人がいるけど、説明できるところまで説明すべきではないか、と言っています。脈診はわかるのに時間がかかるからといってあいまいにする人がいるけど。鍼は気だとかいって分かった風なことをいう人がいるけど。東門先生は、こういうことが嫌いだったようです。

 中身的には、今まで読んだ中で、一番すきです。和田東郭の『蕉窓雑話』もいいと思ったけど、もっと相性がいいかも。

 『蕉窓雑話』の中で、始めに入手した鶴の絵は、その時はいいと思ったけど、あとから絵の見所をおそわり、実際の鶴を観察したらば、いいと思ったその鶴の絵は見るに堪えない。というような話があります。

 教訓「止まるな!」。「東門随筆」は目覚めさせてくれます。



 

2020年5月11日月曜日

温かに見守る

 コロナに関して、政府は一生懸命やっているのに、サポーターがうるさい。昔の言葉で言えば、外野がうるさい。1票入れて預けた人達の奮闘ぶりを温かに見守るのでいいと思う。
 
 元知事というのが、しったかぶりで、(今風にいえば)いたい。しかし、そういう商売なのだから、温かに見守ることにしています。

 わーわー言って楽しい人と、それを聞いているのが楽しい人はいいけど、ぼくはどちらもしんどいから、できる限り、見ない、聞かない、言わない、のお猿状態です。

 その間に、部屋の中と、頭の中を片付けています。意気込みの割には、進まないのですが。

2020年5月7日木曜日

お風呂の沸かし直し

 子供のころは、お風呂は沸かし直して、何日か入っていました。なので、最後のころは、垢が浮かんで、それをすくって捨ててから入ってました。シャワーも無いので、お風呂のお湯で、体を洗い、頭をあらってました。

 お風呂が薄暗かったので、さほど気にならずに入浴していたのでしょうが、今のように明るかったら、浮遊物があり、濁っていたのかも知れません。

 同じような経験をしていれば、沸かし直しについては嫌悪感は無いでしょうが、沸かし直しを経験していない若い人には、嫌悪感マックスのようです。究極は、家族が入ったお湯でもいやがると聞きます。(温泉は、良いみたいなのですが・・)

 何を言いたいかというと、清潔感は、古い世代と、新しい世代で、おおきく差があるということ。今回の、新型コロナに関しては、新しい世代は本気だけど、古い世代は清潔に対して緊迫感が乏しい。

 これがはっきりしたのは、北海道と大阪の知事が積極的に動いていること。これに対して政府の古い世代はやはり手ぬるい。なので、新型コロナは、若い人に任せるのに限る。ピントが外れた、古いのは自粛してほしい。こんな時に、○泉くんは出てこない。残念。

2020年5月6日水曜日

月舟寿桂

国宝・南宋版の『史記』が千葉県佐倉市の歴史民俗博物館に所蔵されています。その扁鵲倉公列伝に、室町時代の五山僧の月舟寿桂の注釈が書き加えられています。

 北里医史研の客員研究員になった30年前の最初の課題が、手書きの文字をデータ入力することでした。これは、1993年に医史研から刊行されました。

 その月舟寿桂の頂相(肖像画)が、今日届いた本に載っていました。30年ぶりの邂逅です。にっこりしました。この連休中も、ずっと、月舟寿桂と谷野一栢について調べていましたから。

 

2020年5月4日月曜日

ロックアウトと自粛

 現在、新型コロナ対策として、法律を使って「ロックアウト」する国と、国民の人の良さ(徳性)をあてにした「自粛要請」を行っている日本とがある。そのあて通りに、現在のところ、自粛されているようである。(何も対策しない国もありました。)

 この人の良さという徳性は、どこからくるのだろうかと考えると、誰にも教わっていないから、DNAのなせる仕業と思われる。中国伝統医学でいうところの神(たましい)である。

 安倍首相は、自分のやばいことは、法律に触れていないからいいんだというが、人間性はあやしく、徳性に欠ける。その徳性に欠ける人が、国民の徳性をあてにした政治を行っているのである。うんと不満。不満を持ちつつ生きるのもつまらないので、「安倍首相はいない」ことにしている。。

 マナーとか、エチケットとか、暗黙のルールとか、空気を読むとか、法律の範囲外なのだから無理して守らなくてもいいのだが、こういうのを日本人は「たましいレベル」で大切にしているのだから、これからも大切にして行きたいですね。

 「父親が羊を盗んだ、子供は警察に知らせるべきか」
 孔子は、法律より、親子関係(孝という徳)の方が大事なのだから、知らせるべきではない、と言います。安倍首相の逆ですね。