2020年1月30日木曜日

春の嵐?

一昨日の雨風で、モッコウバラの葉が落ちて、入り口はご覧のよう。この雨風は1日前は、九州に猛烈な雨をもたらしたらしく、この時期の雨量としては観測新らしい。

 為政者が天理(自然界の法則)に順わないときに、天罰として天災がおこるという古代中国の思想通りです。天候不順とはよくいったものです。

 それが科学的に妥当かどうかはさておいて、為政者が天に対して襟を正す、良い機会だと思うのであります。

2020年1月28日火曜日

感応

 低気圧が接近すると体調が悪くなるのは感応(ひびきあう)というもの。身体の中に低気圧が存在し、それが外界の低気圧と響き合うのです。(身体の中の低気圧はたとえ。具体的にどういうものか、これから検討。)

 今回の痔の手術体験として、手術痕が外界の寒気に感応し、気温が下がると自然に痛みが強くなり、気温があがると自然に痛みが緩みました。入浴でも痛みが緩解していましたから、手術痕が寒気を帯びていたのでしょう。

 もし、身体の中に寒気がなければ、気温が下がっても感応しないわけですから、身体が不調になることはないでしょう。

 おそらく、こういう感じが風寒暑湿燥火という邪なのでしょう。邪気が襲う、邪気が入る、邪気に犯されるとはいうけれど、身体に邪を抱えていて、感応しているだけのことのようです。むしろ、呼び込んで、引き込んでいる、と言うほうが至適かと思います。

 感応、ひびきあう、犯される、引き込む、侵襲される、は同義語と言っていいかもしれません。

 外邪に犯されないからだを作るには、身体の中の邪を駆除すればよいのです。身をもってわかりました。



2020年1月27日月曜日

化ける

 別人のようになることを、化けるといいますが、今場所のお相撲は化けた力士が多くて、面白かったです。横綱不在で、大関もほぼ不在のような状況なので、重しが無くなって、のびのびとお相撲していたのではないでしょうか。

 母校出身の正代と豊山も化け組でした。正代はあわや優勝か! という奮闘ぶりで、最後までわくわくしました。この調子が続くようだと、大関も夢ではないなあ。



2020年1月25日土曜日

痔の手術

 1月14日に、内痔核の手術をしてきました。小石のようなものが3個でてきました。内痔核というだけに、核があるのでした。患者さんからも、術後はたいへんらしいことを聞いてましたので、それなりに覚悟してましたけど、1週間くらいは、歩くのでも、立ち座りでも、排便でも、手術痕がひきつれて、痛かったのですが、2週目に入って、すこしずつ緩和してきました。

【緩解のために工夫したこと】
①痛いけど、歩いたり、起座したりすると、直りがよい(じっとしていると元に戻るような感じ。一進一退)

②暖めるとよい。入浴や電気座布団が良い(無いと外気温に感応して冷えだし、痛み出す)

③患部はかぶれやすくなっているので、入浴、ウォシュレットを使ったほうがよい(手術痕が痛いのか、かぶれてしみるのかわからなくなる)

④排便時間を一定にするため、食事時間も一定にすること(日中に便意を催さないように、昼12時と夜8時の2回にしました)

 こういう経験はやった人で無いとわからないですねえ。こういう小さな情報を集積すれば、「病後の養生」篇ができあがりますね。

2020年1月19日日曜日

両角ジャム


 この前、新年発表会をした、港区白金の北里大学の近くに、両角ジャムの工場がありましたが、数年前には閉鎖してしまいました。廃業? と思っていましたが、長野工場製品の両角ジャムに遭遇。(お、ひさしぶり! と声かけしたくなりました。)
 新年発表会は、100人ほど集まり、盛況でした。参加費無料ですし、古典関連4題ですから、○○学会に行って余計なプログラムを視聴しなくてよい、というメリットがありますよ。来年も、1月第2日曜日にやりますから、遊びにきてください。来年は、中国から数人の教授が来て発表します。(初めて中国に行った30年前は、生の中国人が見られる、生の中国語を聞ける、ということだけでわくわくしてました。ミーハーでしたが。)

津波の跡、埋まらず


 上は母の実家の塩竃市野々島の跡地。
 下は近くの跡地。
 左右の山の切れ目から津波が押し寄せて、向こう側を通って母の実家を押し流し、手前側に通って家々を押し流しました。
 復興のお蔭で、地面だけはきれいになりましたが、住人は戻ってきていません。元々、過疎化が進んでいましたから、津波で促進された感じです。
 福島の原発がある市町村にも住人が戻ってきていませんが、放射能の問題もあるけれど、過疎化もあるのだろう、とつくづく思いました。

2020年1月8日水曜日

ひとりにあれこれ求めない

 魚川裕司著『仏教思想のゼロポイント』から、(『医道の日本』の連載の)ちょっとしたヒントを得ました。その文章は、下のようなものです。

・日本では、大乗仏教の影響で、「悟り」といえば円満な人格完成者としての仏の悟りのイメージが強いから、解脱・涅槃を証得した人は、同時に世俗的な意味でも非の打ちところのない善人となり、いまた日常の振る舞いにも拙いところは全くなくなるはずだと、考えている人は多いかもしれない。
・実際、瞑想の実践者で、長く修行して一定の境地に達した人でも、社会的な意味で、「優れて」いて「役に立つ」人物であるかどうかというのは、結局のところ、その人の元々の性格や能力、そして「物語の中で上手に機能する」ために意識的に行ってきた訓練の度合に、依存することがほとんどである。
 
 たしかに、あの坊さん世間とずれてるな、あの坊さん素っ気ないな、あの坊さん愛想よくないな、などと批判的にみてました。どっぷり影響受けてました。反省。
 そうしてみれば、鍼灸師も同じかも知れません。著明な鍼灸師ならば、有能だけでなく、善人であり、知性も豊かであらねばと思っていました。これから、あれこれ求めるのをやめて、有能だけで佳しとしましょう。

2020年1月3日金曜日

お屠蘇

 以前買った彭丹著『中国と茶碗と日本と』(小学館)を、何気に手をとり、「はじめに」に感動しました。

 日本に来て初めて迎えたお正月、私は朱塗りの盃で屠蘇酒を飲んだ。中国では千年も昔の詩文でしか知ることのできなかった屠蘇というものを、海を渡って今日の日本で飲むことができた感動は、今でも忘れない。
 褐色の酒の入った盃を手に取り、これを日本に伝えた遣唐使への感謝の念を覚えながら、私は生まれて初めての屠蘇酒を飲んだ。幽かな漢方の香りがふわっと口中に広がっていった。

 もはや消えつつあるお屠蘇が、こうして感動してもらうと、お屠蘇を残してきた先人に、感謝。実は、この正月、お屠蘇を飲んでいます。お酒とみりんの中に、屠蘇散を浸すだけででき、下戸のボクにちょうど良い液体なのです。それをちびちび飲みながら、彭丹さんの「はじめに」をくりかえしよんでいます。

 わたしたちの鍼灸も同じだろうと思います。自分の都合ではなく、好き嫌いしないで、連綿している技術をつなげて行くのも、使命かなとも思います。脈診もそのひとつで、調べてみると、診断に脈診し、治療効果の確認にも脈診すのが、むかしながらのやり方のようです。お灸もしかり。

 ことしも、お灸の学校3、お灸の学校4があります。奮ってご参加を。