2020年8月23日日曜日

ふたたび『慢とのつきあい方』2

  前回は、「モノ、人、事の価値判断」はしないのがのぞましい。

 今回は、「自分の価値判断」=「慢」をしないのがのぞましい。話。

 仏教に「慢」という煩悩があって、パーリ語のマーナ(測る)の音訳だそうです。

 自分と他人を比べて測ることを「慢」といい、自分はあの人より優れている(高慢)、劣っている(卑下慢)、同じ程度だ(同等慢)の3種の煩悩にわかれるそうです。

「慢」のクセが付くと性格なり、悲観主義者、被害妄想者、傲慢、頑固者などと言われるようになり、煙たがられ、いやがられるようになるそうです。

 金持ちが気になる人は卑下慢だし、見下すのは傲慢。みんなと同じで安心するのは同等慢。どういう「慢」でも、ない方が望ましいのだと。いずれにしても、価値判断して測ることが、執着であり、煩悩で有り、解脱の妨げになるのだそうです。

 解脱の妨げとは言わないけど、価値判断しない、比べないというのは、老子の思想にも近いと思えます。

 ちかごろ、お祭りやお盆などが相継いで中止になっていますが、実は、自分たちと神様や祖霊を天秤にかけた結果、自分たちの命が大事だから、中止したことになります。罪なことしたな(と一瞬)思いました。




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