2019年9月17日火曜日

来世の養生

 8月に久留米で死生観を話しして、気が付いたのですが・・・

 今までは、養生は、現世だけを考えてました。が、もし、来世があるとすれば、来世に向かった現世の養生があってもいいのです。来世のための現世だとすれば、どのように生きていくか、そのためにはどのような養生がふさわしいのか、考えなければならないかと。深慮しています。

 来世はあるのでしょうか。それはあの世でしょうか。極楽浄土でしょうか。いずれもないのでしょうか。

 儒教では、あの世は、子孫を見守る善鬼として存在するとみなしています。したがって、現世では、その祖先の霊魂を大切にまつります。結局は、親に尽くし、子供を産み育て、祖先の霊魂を篤く祀る、そのための人生なのだといえます。その上で、養生が形成されるのです。

 遺伝子レベルでいえば、あの世は、子孫の肉体として、存在します。自分も、前世の両親の遺伝子を受け継いでいますから、前世、現世、来世は、存在するといえます。

 こんな風に、現世の自分だけの養生と思っていたら、来世に向けての養生という発想も必要ではないかと思い始めました。

 養生=何かをする という図式は、もはや幼稚にすぎるかも。



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