2019年9月18日水曜日

本末転倒

 お釈迦さまの教えが、大乗仏教と上座部仏教にわかれ、大乗仏教が中国仏教に発展し、中国仏教が日本仏教に伝えられました。移動の間に、本来性が薄れ、いろいろなおまけがついて、日本に滞在している間にも、いろいろな俗習が加味されました。

 仏壇のお作法、お葬式のルール、お焼香のやりかた、お墓の立て方、お布施の額、これらのことをいくら突き詰めたところで、お釈迦さまの教えに到達しないのですが、私たちは、これが仏教の一面だと思っています。アメリカでは、人口の1パーセントが仏教徒といわれ、仏壇も、お墓とは無関係に、仏教の教えに目覚めることを求めています。

 私たちが思っている仏教は、本末転倒しているのが明らかです。こうしたことは、鍼灸業界も同じで、鍼の意義、灸の役割をきちんと理解しないで、補法はどう、瀉法はどうと、無用な時間つぶしが昭和から平成にかけて行われてきました。長い時間をかけても、結論はでませんでした。つまり、末をいくら突き詰めても、本に到達しないのです。

 いい加減に、目覚めなければ。とつくづく思った、先週の日曜・月曜でした。

 私たちの医療の本質は、未病治療です。出てくる病気の対処法を探し求めるのは、近代医学とおなじことですから、本質とはいえないでしょう。道具が鍼と灸というのがちがうだけです。

 養生をきっちりやらないとなあ、と目覚めました。

 

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