2018年5月26日土曜日

妙工

鈴木大拙『東洋的見方』
「芸術ではテクニックということをいうが、そのテクニックでも、単にテクニックだけではだめで、その熟練がいくらあっても妙というものはそこから出てこない。そこにはやはり形而上学的無意識というものが働かんといかん。そこから出る者を妙という」

森共之『意仲玄奥』

「無にして刺し、無にして出すと云こと、凡そこの道理に通達せざるものは鍼工と云に足らず。また病を治することかたかるべし」


 テクニックのゴールは熟練工。

 それだけでは限りがある。無意識がはたらいて妙工、無心がはたらいて鍼工となると、別のステージの治療家ができあがるわけである。

 妙工は、『霊枢』九鍼十二原篇に「妙哉工独有之」とみえる。ただしくは「妙哉上独有之」であるが。

 「妙」これは上工だけが所有しているのだ。

 つなげてみると、『意仲玄奥』がいう鍼工は、妙工であり、『霊枢』九鍼十二原篇でいえば上工である。熟練工とは別次元の治療家なのである。次元が異なるので、要するに相手にならない。よって「鍼工と云に足らず」と素っ気ない。


 これで何となく、『意仲玄奥』の「無にして刺し~~」が分かったような・・・




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