渡し船は、今は今は塩竃市営汽船というのですが、昭和40年ころまでは、このような船で、今は立派なものになっています。小学生のとき、母方の実家(塩竃市浦戸野々島)に行くとき、これと同じものにのりました。写真残っていたんですねえ。
船の中は畳張りで、冬は火鉢がありました。夏なので、窓を全開にしているようです。
舳先が桟橋に着くので、おりるときは後から、先生らしき人が立っているへりを通って舳先まで行くことになります。20センチくらいの幅しかないので、子どもながら怖かった記憶があります。屋根の手摺りにつかまりながら移動しました。
屋根に乗っている子供らは、平気のへいざで立っていますから、怖くないんですね。海の子でしょうね。先生も、堂々としたもんです。僕には、母方の海の血がまじっているといっても、怖がっていたのですから、この子達からみれば、海の血はそうとう薄いかもしれません。
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