「達」は、素朴で正義を好み、人の発言を察し、顏色をよく観て、よく考えてへりくだることで、そうすれば、国でも家でも、その名が通達すること。
この孔子の「達」の定義をよむと、忖度する官僚を想起する。忖度する官僚になれ、と孔子はいったのだろうか。そこで伊藤仁斎の説明を参考にするのだが、なるほど深耕している。
「質朴・正直で道義を好むときは、虚飾を事としない。
相手のことばつきや顏色ばかり気にするときは、心中満足して尊大に構えるわけにはいかない。
思いをめぐらせ人に下るときは、たかぶるわけにはいかない。
孔子の言われた三つの項目は、身を修めながらも謙遜しており、人が自分を認めてくれることを求めないということなのだ。」
相手に対してへりくだるのではなく、相手がいなくても謙遜の生活を実践すべきだ、という意味らしい。虚飾しない、尊大にならない、高ぶらない。
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