2018年10月24日水曜日

達と聞

 日曜の講座で読んだところの、『論語』顏淵篇の一節。

 二十代の子張が、晩年の孔子に、「達」の意味を質問した。 まず孔子は子張の考えを聞く。子張は、国でも、家でも、有名になることが「達」だと答えた。孔子はそれを聞いて、それは「聞」ということで、「達」ではない、と答え、区別して諭した。
 「達」は、素朴で正義を好み、人の発言を察し、顏色をよく観て、よく考えてへりくだることで、そうすれば、国でも家でも、その名が通達すること。
 「聞」というのは、うわべは「仁」をとり繕い行動は「仁」に違い、そうすることに疑いを持たない人が、国でも家でも有名になってしまうこと。

  達:中身が充実して、名が知れ渡る。
  聞:中身が無いけど、有名になる。
 
 こんなことが書いてありました。問題は、子張がなぜ「達」を持ち出したのか、である。顏淵篇では子張は「政」について質問していたのに、なぜ「達」なのか。

 孔子塾の徳目(人徳を形成する科目)の基本は「仁」で、そこから忠恕、孝悌、義、中庸などが細目となるが、そこには「達」は無い。また、「剛毅木訥は仁に近し」といっても、ここにも「達」は無い。なので、なのに「達」を持ち出したのか。

 きっと、雍也篇での子貢と孔子の問答を聞いていたにちがいない。孔子が言うには「夫れ仁者は、己 立たんと欲して人を立たしめ、己 達せんと欲して人を達せしむ」と。その話を聞いていた子張は、「達」を名声を得ることとと解釈して、孔子に質問したのでしょう。

 それを、孔子はたしなめるように、中身を充実させることなのだ、と若い子張に釘をさした。こうして読むと、「達」を持ち出した意味が、自分なりにわかって、すこしすっきり。


  
 

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