光文社新書のこの本を借りて読んでいます。
テニスのレギュラー、イレギュラーと同じように、立ち位置が変わりそうです。
①レギュラーだけ対応していた
⇒稚拙だった
②レギュラーに対応していたが、時にイレギュラーに対応することになった
⇒イレギュラーに慌てる
③イレギュラーに対応することを主にして、レギュラーはその延長線上
⇒すべてのボールをイレギュラーと思って構えるのです
⇒イレギュラーに慌てなくなる
⇒タフになる
身体がついていくのと、頭の理解がついていくのと、両行なのです。自由自在に適応できるようになれば、身頭一体というのでしょう。
ところで、目の見えない人は、見えないだけに、
死角が無い
表と裏が無い
内と外が無い
のだそうです。これって、老子の言うこととまるっきり同じです。「わたし達が得る情報の八割から九割が視覚に由来する」といわれるそうですが、老子の無心とは、もしかしたら視覚情報に惑わされるな、ということなのか?
とても刺激になる本です(まだ読み終わっていない)。
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