2018年9月24日月曜日

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

 光文社新書のこの本を借りて読んでいます。
 テニスのレギュラー、イレギュラーと同じように、立ち位置が変わりそうです。
 
 ①レギュラーだけ対応していた
  ⇒稚拙だった
 ②レギュラーに対応していたが、時にイレギュラーに対応することになった
  ⇒イレギュラーに慌てる
 ③イレギュラーに対応することを主にして、レギュラーはその延長線上
  ⇒すべてのボールをイレギュラーと思って構えるのです
  ⇒イレギュラーに慌てなくなる
  ⇒タフになる

 身体がついていくのと、頭の理解がついていくのと、両行なのです。自由自在に適応できるようになれば、身頭一体というのでしょう。

 ところで、目の見えない人は、見えないだけに、
  死角が無い
  表と裏が無い
  内と外が無い
 のだそうです。これって、老子の言うこととまるっきり同じです。「わたし達が得る情報の八割から九割が視覚に由来する」といわれるそうですが、老子の無心とは、もしかしたら視覚情報に惑わされるな、ということなのか?

 とても刺激になる本です(まだ読み終わっていない)。

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