2017年4月8日土曜日

桜の花

 この時期になると思い出すのが、沢庵の「不動智神妙録」に引かれた、慈円の歌。

 「柴の戸に、匂はん花も、さもあらばあれ、ながめにけりな、恨めしの世や」

 柴の戸の近くに咲いている花は、無心に香りをただよわせているだけなのに、自分は花に心を止めて眺めている。自分の心が花にとらわれ執着しているのが恨めしい、と詠んでいるのです。
 見るにつけ聞くにつけ、一箇所に心を止めないことを至極とするのです。

 これは、『沢庵禅師逸話選』(禅文化研究所編)から引用しました。

 つまるところ、花に心を止めることは、まるで花に関心が強いようだが、実はちっとも花を理解していない、のである。一点に集中するから、まわりが見えなくなる、のでしょう。

 治療のとき、病気に心が止まると、かえって病気が分からなくなり、鍼に心が止まると、かえって鍼がわからなくなる。

 この時期になると「柴の戸に」を思い出して、満開のさくらに浮かれないように自分を誡めるが、まいねん桜の花に浮かれている、自分が恨めしい。

 
 

 

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