この時期になると思い出すのが、沢庵の「不動智神妙録」に引かれた、慈円の歌。
「柴の戸に、匂はん花も、さもあらばあれ、ながめにけりな、恨めしの世や」
柴の戸の近くに咲いている花は、無心に香りをただよわせているだけなのに、自分は花に心を止めて眺めている。自分の心が花にとらわれ執着しているのが恨めしい、と詠んでいるのです。
見るにつけ聞くにつけ、一箇所に心を止めないことを至極とするのです。
これは、『沢庵禅師逸話選』(禅文化研究所編)から引用しました。
つまるところ、花に心を止めることは、まるで花に関心が強いようだが、実はちっとも花を理解していない、のである。一点に集中するから、まわりが見えなくなる、のでしょう。
治療のとき、病気に心が止まると、かえって病気が分からなくなり、鍼に心が止まると、かえって鍼がわからなくなる。
この時期になると「柴の戸に」を思い出して、満開のさくらに浮かれないように自分を誡めるが、まいねん桜の花に浮かれている、自分が恨めしい。
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