2019年2月26日火曜日

曲直瀬正琳

 冬は空気がきれいだったので、遠望がかなってましたが、だんだん、男体山、富士山が見えなくなってきました。電車に乗る時の楽しみが減りました。唯一、品川を過ぎて間もなく見えてくる沢庵のお墓だけ、遥拝しています。

 沢庵で思い出したのですが、京都の大徳寺の塔頭に玉林寺があり、曲直瀬正琳という人が創建したものです。元の名称は、ずばり玉琳庵といいます。建てるのに、私財をつくしたというのですから、おそれいります。それが、なんと38歳というのですから、重ねておそれいります。

 その大物ぶりには、おどろきます。小さな庵といっても、数億~数十億はかかるでしょう。それが38歳の手元にあったわけですし、それを一気に使ってしまったのです。まったく壁のない人のようです。曲直瀬玄朔が、自分の娘の婿に選んだ理由が何となくわかりそうです。46歳で亡くなりましたけど。

 ときどき、室町時代~江戸時代の人物を調べますが、それなりの人は壁が無い、というのが印象です。どこまでも壁がない人もいますねえ。どこまでも行けるわけだ。

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