2018年1月2日火曜日

再びせばこれ可なり

『論語』公冶長に「季文子、三たび思うて後行なう。子これを聞いて曰わく、再びせばこれ可なり」

 魯の大夫の季文子が、事ごとにかならず三度考えたのちに行動した。孔子は、二度思案すれば良いと仰った。

 ここのところを、伊藤仁斎は、季文子の「三度」は、それをルーチンにしているので、それを批判して「二度」と言ったのであるが、二度思案すれば良いという意味ではなく、三度のルーチンを止めなさいと言ったのだ、と解釈している。よく考えられた解釈である。

 さらに、

 政治には明快果断な決断ほどよいことはなく、優柔不断より悪いことはない。一度考えるまでもなくすぐ結論が出るものもある。千度考え、万度思いめぐらしても、まだ決断できぬものもある。季文子が事ごとに三度考えてのち行ったのは、ただ考えただけで、決断することを知らなかったのである。

 と解説を加えている。ここまで読み込めば、『論語』も活き活きとしてくる。すごい。伊藤仁斎の『論語古義』。それを現代語訳した貝塚茂樹先生には頭がさがるばかり。

 

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