両面思考とは、物事を一面的には見ないという基本的な態度。陰陽。虚実などが良い例。(金谷治『中国思想を考える』)
「無限は有限に対立するものではなくて、有限をそのうちに包みこむものであるから。」(森三樹三郎『老荘と仏教』)
森の本は割と読み込んでいたのに、この文章は見逃していました。というのは、両面思考(対峙)がしみ込んでいるので、有限と無限は対立する概念だと思いこんでいたのです。対立するとみなすこともあるが、対立しないとみなすこともできるので、対立的な思考をもう一度見直す必要があるかもしれない。
心と体。これも対峙すると思いこんでました。老子に言わせれば、心が体を包みこんでいる(よって養心が重んじられている)のだから、対峙していない。心と体がバラバラ。心が不安定だから、自動的に体と離ればなれになるのであって、心さえ安らかになれば良いのである。両面的思考で心身一如というけれど、老子的にはいつでも心が体を包みこんでいるので、後付け的に一如と言うのは、納得できないでしょう。
男女。これも対峙の概念ですが、男社会では男性が女性を包みこんでいます。男勝り、女だてら、女女しいというような表現があるのですから、中々その意識は無くならないようです。女性活躍社会というスローガンも、男視線です。
こういう風に考えると、陰陽、虚実、生と死、病気と健康なども、もう一度見直さねばならないでしょう。
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