2016年11月30日水曜日

関東(ちら見)三山

 最寄り駅の東川口駅の南の高台から、筑波山がみえる。距離は近いので、よく見える。標高は877メートル。孤立している山なので、わかりやすい。日本内経医学会で、筑波山登山をしたことがある。岩場をよじ登った。

 中国の泰山は、標高が1500メートルなので、筑波山の倍。麓から頂上まで、7000段の階段が用意されている。岩場と階段では、あっとうてきに階段の方がつらい。同じ運動の繰り返しなので、一定の筋肉が酷使されるからでしょう。

 東川口駅から東浦和駅に向かうときに、北方に日光の男体山がみえる。距離はあるので、空気がきれいな時期しかみえない。電車に乗れば、いつも探すが、年に1、2回しか見えない。

 母方の実家は、松島湾の離島にあったが、冬になると、泉ヶ岳がきれいに見え、「あそこではスキーができるらしい」と、大人におそわった。その大人も、それを聞いた子どもも、スキーをやったことがないし、そもそも知らないのではないか。岩手県出身の女性の患者さんは、東京に来るとき、おばあさんに「東京にはひとさらいがいるからダメだ」と言われたらしい。50年程まえの話である。50年で、世の中だいぶ変わったです。

 京浜東北線の川口駅から赤羽駅に向かうとき、荒川をわたる。そのとき、富士山がみえる。みえるとは知っていたが、このあいだ、やっと、はじめて見えた。見る方向がわるくて、思いこみで違う所を探していた。見えないわけである。
 
 探して見えたのではなく、なにげなく、なにげない方向をみたら、富士山が鎮座していたのである。それも、ほんのわずかな時間であるから、要領がわるいと、ほとんど見えない。

 倉公は、望診に長じているが、特殊能力を持っていたのではなく、みるコツを知っていたのであろう。みどころ、というのでしょうか。孔子は、一晩ねずに考えたが無駄であった、おそわるにこしたことがない、とおっしゃってましたが、やはり、なんどか探し、みどころを教わって、それに基づいてまたさがず、というのが近道かも知れません。
 
 「学んで時にこれを習う。またたのしからずや。」というがごとく、繰り返し復習することがよろこびとなるのが、本当の学習なのでしょう。
 
  予習→おそわる(コツ・みどころ)→復習

 学校で教えての、なんとなくの感じているのですが、みなさん復習が足りないような気がします。しつこくないというか。わかった気になって、そこで止まるのでしょうか。




 

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