2015年6月1日月曜日

5月31日丹塾古典部

 5月31日の丹塾古典部は、午前は後藤艮山の「師説筆記」、午後は「平人・病人」を読みました。参加されなかった人のために、報告しましょう。

 というのは、4月に気がついたのです。発見したのです。上古天真論は、養生を書い「てあるのですが、患者さん向けではなく、治療家むけに書いてあるのだ、と。「そーだったのか。」

 このことがわかって、とてもすがすがしくなりました。やっと、今まで学んできたことがつながりました。夢分流も、後藤流も、宮脇流も。そして養生の位置づけも。というわけで、自分の中では、今まで最も納得した丹塾古典部ではないかと思っています。何かの都合があって参加できなかった人は残念でした。このブログで、そのさわりを伝えましょう。

 なぜわかったかというと、4月は『呂氏春秋』を読んでいたからです。上古天真論篇をよむ迷いが消えました。たとえば先己篇に、湯王が伊尹に天下を取る方法を質問し、伊尹は「まず自分自身をお治めになることです」(およそ事の本は、必ず先ず身を治めよ。)と答えています。政治にしろ、治療家にしろ、まずは自分自身を治めるべきということで、そのためには養生をして、心を治め、体を治めるべきだ。というようなことが書いてあります。その方法が、上古天真論篇に書いてあるわけです。

 まえに、森共之先生が、脈診と腹診のコツが晩年にわかったと書きました。「医者の手指と病人の皮膚と、相忘れて、しかるのち吉凶死生を診得すべし」と。共之先生に及ばないながら、うれしいものです。かくして、「恬憺虚無なれば、真気これに従う」も、ようやっと合点しました。

 

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