2015年6月15日月曜日

治療ということば

 治療ということばは、自療と他療に分けることができる。
 他療とは、他人による治療ということで、私たちが治療といっている行為である。
 自療とは、自分による治療ということで、たとえば自宅施灸(これを自灸という)はその典型で、湯治、食治なども自療に属す。江戸時代の矢野白成先生は、患者さんに自分で鍼治療するように進めていて、これは自鍼といえる。自療には養生も含まれる。

 つまり、昔は、自療の余地がたくさんあったのを、現代の医療は自療を奪って、他療だけにしてしまったのである。鍼灸といえども、例外ではなく、同罪である。自分も、同罪である。

 現在は、マッサージは他療であるが、むかしは白隠禅師が提唱したひとりあん摩のように、自療の部分もあったのである。いつのまにか、他療だけになってしまって、他療なしではマッサージはできないと固定されてしまった。調子が悪ければ病院、なんでもかんでも病院というのは、その延長線上にある。

 誰かにやってもらう。食事も誰かに作ってもらう。何でも誰かにやってもらう。これは、現代日本の大きな風潮であるから、治療を誰かに委ねるという傾向はどんどん進むでしょう。これは、きっと、頭のいい人が、産業を作り出すために仕組んだもので、大衆はまんまとわなにはまったのである。誰かにやってもらえば、お金がかかる。お金を吸い上げるシステムを、頭のいい人が造ったのだとおもう。

 しかし、人の健康を、商売のタネにしてもらっては、困る。自分の健康は、自分で確保する、そういう風に意識改革する運動をはじめませんか、鍼灸師のみなさん。

 本来の姿を失い、健康産業に堕した鍼灸を憂う。
 
 自分の健康は自分で確保する(つまり養生ですが)、そのコツが『素問』上古天真論篇に書いてあります。自療こそが、本当の治療で、本人を解放し、自由にする最善のものです。みなさんも、自療について考えてみてはいかがでしょうか。
 
 


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