2015年6月20日土曜日

治療その2

 矢野忠先生の最近のレポートによれば、鍼灸の受療率は低下しているそうです。学校がふえて、生徒がふえて、資格所有者がふえているのに、世間のニーズは落ちているようです。

 単純にいえば、鍼灸は世間に期待されていないのだとおもいます。それは鍼灸のせいではなく、鍼灸師の責任です。

 ラーメン業界は、作り手の力で、期待される業界になりました。かつては、ほうれんそう、なると、シナチクをトッピングして、ほそぼそと生きつないでいました。今から40年ほど前の話です。この40年間で、変貌をとげました。ラーメンが変貌したばかりではなく、世間の評価も大いに高まりました。それは、作り手が、おいしさをもとめて工夫し、店舗をきれいにし、魅力的な業種に仕立てたからです。

 美容業界もがんばっています。美容師は、いまや先生とよばれるほどに、世間の評価も高まっています。むかしは、パーマ屋さんといって、パーマをかけるでしたが、現在は、女性の美を担う大切な仕事になりましたから、先生とよばれて当然かもしれません。おなじく、美を追究し、店舗をきれいにし、魅力的な業種に仕立て上げたゆえです。

 ところが、鍼灸業界は、旧態然として、目がさめるようなことを何もしていませんから、閉塞感が漂い、それが社会の興味を惹起できない状態にいます。

 なにが旧態然かといえば、専門用語です。日本語化されていないので、世間にアピールできないところが壁になっていると思います。ここで取り上げた治療ということばも、自分たちの目線で、独善的な思いこみで使っています。もうすこし、患者さん目線で、わかりやすく説明し、理解して貰わない、鍼灸の普及にはならないし、世間のニーズも高まらないとおもいます。

 きのうも、臨床実習で、「膀胱経が~~」と生徒にいったら、患者さんに「私、膀胱が悪いんですか?」と質問されました。誤解しやすい、わかりにくい、こういう状況は、早く解消したいところです。

 以上のような意味で、治療を自療と他療に分けて、もともと鍼灸がもっていた自療という治療法を取り戻さねばと思います。そのうえで社会にアピールし、その延長線上に養生をすえるならば、鍼灸医学の役割はとても大きなものではないでしょうか。

 現代医学に歩調を合わせながらも、同時並行的に独自性を確立する活動をしなければ、鍼灸はおいおい消滅するような気がします。

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