2015年6月22日月曜日

治療その3

 自療とは、自分で治療することである。

 自分で治療するとは、治療行為を、自分にほどこすことです。たとえば、自鍼、自灸、ひとりあん摩など。薬局で市販薬を買って、早めに治しているのもでしょう。かぜを引きそうだから葛根湯。自分に合っているクスリで早めに治すことができるならば、漢方薬でなくても自療といえます。ざっといえば、軽度で、早期ならば、自療である程度対処できそうです。そうでなくても、湯治に行ったり、断食をして、重い病気を治す人もいますが。

 また、ただ、毎日の生活を見直し、自然な生活に戻ることも、自療といえるでしょう。食べ過ぎたり、飲み過ぎたり、夜遅くまで起きていたり、そういう不自然な生活を改め、自然に沿った生活をすることも、自療といえるでしょう。食べ過ぎ、飲み過ぎ、遊び過ぎ、生活をあらためるだけで治る病気もあるのではないでしょうか。

 自分で治療するといえば、範囲が狭そうですが、ひろく考えるとなかなか奥深いところがありそうです。さて、自分で治療するといっても、大いなる存在を見逃してはならないかと。神さま、仏さまのお力もあるだろうから、自療に関しては、信心も大きな役割をすると考えらます。

 大いなる存在としては、「自然の力」を忘れてはなりません。これは、老子が提案したもので、自然治癒、自然良能などといわれる「自然」です。わざとらしいことをしない、小賢しいことをしないで、自然の力に委ねて自療すれば、自然の力が荷担してくれ、自然治癒力が増してきます。

 湯治は、小賢しいことを考えずに行えば、自然治癒が増すけど、小賢しいことを考えてしまえば、不自然となり、返って良くないかもしれない。食事療法も、小賢しいことを考えなければ、自然治癒力も高まるだろうが、小賢しいことを考えるならば、返って良くないかも知れない。

 要は、自療といっても、自分勝手に行うのではなくて、自然の摂理に法ることが大切で、その場合は、思いこみや、固定概念、社会の常識、流行、うわさなどが障害になり、医学的にこうだ、あれがいいらしい、みんなそうしている、というのも妨げになりそうです。そうではなくて、小賢しいことを考えずに、ごく自然に、自療をおこなうのが望ましいと考えています。

0 件のコメント:

コメントを投稿