だいぶ以前に、ある勉強会で、正木先生の講演があるというので、予習のために買った本ですが、たまたま目に着いたので読み返してみました。
ブッタの場合も、「古代マガタ語」で説法していたにもかかわらず、仏典は「古代マガタ語」では書かれずに、「古代マガタ語」とは系統が異なる「パーリ語」で記述するということが行われています。
今回は、前回と違って、こんなところが気になりました。いろいろな言語を経て、さらには漢訳されて、そうして日本に到達したのですから、仏教の本当のところはわかりにくいのだと思います。日本で発行された仏教関連の本は、都立中央図書館では、幅5メートルの書棚の5面か6面にいっぱい詰まっています。わかりにくい分、研究が進んでいるのでしょう。
中国医学古典は、ずっとおなじ漢語で書かれていますから、古代人との意思疎通がはかりやすいと思います。はかりやすいなら、もっと研究が進んでよいと思うのですが、研究はほとんど進んでいません。ざんねん。
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