無心は、いろいろな意味があって、次のように整理することができる。
孔子は、主宰者「天」に対するために無心を言う。
老子は、真宰者「道」に対するために無心を言う。
治療効果に「天」あるいは「道」の力を期待するならば、それぞれの無心が求められる。
技術者は、技術を誤らないために無心を言う。
鍼師は、技術を誤らないための無心が求められる。
信(何かの力のままにしたがう。うたがいなく)も、無心ともいえる。
先人の知恵、師匠の教えを、うたがいもなく、ゆだねることができる者は、すぐれた鍼師だと思う。
釈尊は、解脱のために無心を言う。
出家しないとわからない無心です。よく分かりません。
個人的には、①技術のための無心+②天・道の無心=鍼師の資質、と思っています。
②は、委順(自然の成り行きに任せる)、(自分を出さないで)信じて任せきる、とおき換えることができるかも知れません。
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