2020年9月29日火曜日

それぞれの無心

  無心は、いろいろな意味があって、次のように整理することができる。

  孔子は、主宰者「天」に対するために無心を言う。

  老子は、真宰者「道」に対するために無心を言う。

 治療効果に「天」あるいは「道」の力を期待するならば、それぞれの無心が求められる。

  技術者は、技術を誤らないために無心を言う。

 鍼師は、技術を誤らないための無心が求められる。

  信(何かの力のままにしたがう。うたがいなく)も、無心ともいえる。

 先人の知恵、師匠の教えを、うたがいもなく、ゆだねることができる者は、すぐれた鍼師だと思う。

  釈尊は、解脱のために無心を言う。

 出家しないとわからない無心です。よく分かりません。

 個人的には、①技術のための無心+②天・道の無心=鍼師の資質、と思っています。

 ②は、委順(自然の成り行きに任せる)、(自分を出さないで)信じて任せきる、とおき換えることができるかも知れません。

 
 



 

 


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