2019年4月13日土曜日

忖度と切診

 近頃、忖度という熟語が、ニュースに流れ、忖という字がよく見られるようになりました。ついでに、切診についても考えてみました。

 漢代の『説文解字』に「刌、切也」とあり、清代の段玉裁は「詩、他人有心、予寸度之、俗作忖、其実作寸作刌、皆得如切物之度其長短也」と注しています。

「詩、他人有心、予寸度之」とは、『詩経』小雅・巧言に「他人有心、予寸度之」という句があることで、他人に心有らば、予め寸度(すんたく)する、という意味です。

「俗作忖」とは、寸度は俗に忖度(そんたく)と書くということ。

「其実作寸作刌、皆得如切物之度其長短也」とは、実際は、寸度と書いても、刌度(そんたく)と書いても、いずれも物を切るときに長短を測る(度)意味を持っている。

 忖は推し測るという意味で、段玉裁によれば切も推し測るという意味があるようです。脈診をするところを寸口というのですが、一般的には手首から肘にむけて1寸下がっているから寸口だというのですが、一理あるとして、個人的には「体内を推し測る入り口」という意味だと考えています。蔵府のこと、経脈のこと、気血水のこと、名人になれば、なんでも寸口で推し測ることができます。あえて、腹診したり、背診したり、切経しなくとも、なんでも分かるのです。いずれにしても、切には推し測るという意味があります。

 中国の古代思想家の陰陽家がいうには、敢えて寒空で天体観測しなくても、天体の運行予測システムさえ完成すれば、部屋の中にいても天体観測はできるのだ。まさに、寸口は部屋の中なのです。寸口こそ陰陽家の発明に違いありません。






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