2019年4月15日月曜日

富みにして

『論語』述而篇に「富みにして求むべくんば、執鞭の士といえども、吾れ亦た之れを為さん。如し求むべからざれば、吾が好むところに従わん。」(富貴が求めて得られるのであれば、賎しい職業の執鞭でもやろう。しかし、求めて得られるものでないのであれば、自分の好きなことをしたい。)

 孔子は晩年、自分のやりかたを認めてくれる君主をさがして諸国を遍歴しました。食べ物がなかったり、襲われたり、相当な苦労しました。その原動力はどこにあるのか、長く案じていましたが、冒頭の句が解答のような気がしてきました。

「吾が好むところ」というのは、「好きなこと」という意味で問題ないのですが、吉川幸次郎は「私の生活の自由を保持して、好きなように生きたい。理想のために生きたい」と解説しています。なるほど、この中の「自由」が重要なポイントのようです。

 自由とは、心の制限が無いことであり、私利私欲がないことであります。孔子にとって好きなことは、理想の政治の実現なのです。だから、困難があるとわかっていても、突き進んだのだと思います。私利私欲があれば、困難があるなら、前進はしないでしょう。尻込みするかも知れません。

 さて、自分の好む所(本当にやりたいこと)は・・・ 

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