2019年1月5日土曜日

富士山と男体山

(12月31日)武蔵野線を府中本町の方へ向かう荒川の鉄橋の上から、左に富士山、右に男体山がみえました。なんとも至福の数秒です。この冬、日光の男体山が見えたのは昨年の暮れころからですから、二つの山を同時にみることができるのは、珍しいことなのです。通勤通学で使っている人は、茶飯事なのかもしれませんが。

 軽井沢の浅間山も、東側からみるとまるで富士山のようです。富士山にはたて筋があるけど、浅間山はそれが無くてのっぺりしているのが違いでしょうか。見たことは無いですが、関東平野の真ん中あたりで、この3座を見ることができるかもしれません。

 さて、富士山は、どこから富士山なのでしょうか。富士山の裾野から? 地続きといえば関東平野から? それをいえば本州の端から? 見えている所から? 見えない人は? 究極は気持ちをむけたら富士山だということになります。というふうに考えると、富士山はどこからでも富士山なのです。

 これを十万億土のかなたに在る浄土に置き換えると、途方もない先にありそうだけど、その数字をカウントした時点から浄土だともいえるわけです。そうすると遠いが遠くない。遙拝という拝礼法があって、「ずるいなあ」と思っていたけど、いまは「優れているなあ」と合点しました。

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