先月のはり灸祭(湯島聖堂)の帰りは、秋葉原まで歩きました。秋葉原のとんかつといえば、丸五さん。かつては、木造2階建てでしたが、今はコンクリ造りの2階建てになっていました。おどろいたことに、10人が並んでいました。それが、みな外国の人でした。秋葉原全体でも、日本人は少なく、圧倒的に外国の人で埋まっていました。10人も並んでいたので、丸五さんに寄りませんでしたが、味が変わっていなければ良いなあと思いました。世は、行列ができると評価が高まりますが、どう考えてみても、忙しくなれば、心が荒れ、味は落ちるんではないか。
個人的には、営業日を限定し、営業時間を限定し、お客さんの数を限定しているお店のほうが、好きなのです。作り手が、自分の体調、心の余裕などを重んじているところが、好ましい。
いま、岡本一抱の著作の校正をしていますが、著作ばかりしているから、臨床家ではない、臨床は下手だと思われているようです。臨床数が多いのが上手で、臨床数が少ないのが下手、という単純な評価ですが、それはきっと勘違いだとおもいます。岡本一抱は、数多くバッターボックスに立つ選手ではなくて、代打できちんと結果をだす選手なのです。打数をかせいでいる凡医とは違うのです。
たくさんの知識があり、その上、頭脳明晰であれば、考察が適切ですから、治療方針も的確なのです。最適な治療穴が決まれば、誰が治療しても、一定の効果は得られるはずです。たとえば、おきゅう。ひねって燃やすだけですから、熱さのばらつきはあっても、技術に目くじらを立てるほどではありません。むかしは、治療穴を印して、施灸は家庭ですることもあったのですから。
矢野白成『鍼治枢要』を読んでみると、患者さんに鍼を渡して、自分で治療するように指示する場面があります。治療は技術だけできまるものではなく、むしろ的確な治療方針をきめ、最適な治療穴を選ぶのが一番むずかしいのです。
いま、技術が優れ、患者さんの数や収入が多い治療家が、もてはやされますが、どうなんだろうと思っています。霊性とか、品性とか、奈辺にありや。
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