2018年6月13日水曜日

ヨイトマケ

 建築で地固めのときに重い槌を数人で上げ下げする労働を「ヨイトマケ」といいます。西岸良平の『三丁目の夕日』に昭和30年代の一こまがある。


 1966年のヒット曲、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」
  おとちゃんのためならエンヤコラ。
  おかちゃんのためならエンヤコラ。
  もひとつおまけにエンヤコラ。

 1877年のモースの記録にもみえ(『日本その日その日』東洋文庫)、少なくとも江戸時代から続く労働風景なのでしょう。

 変な、単調な歌が唄われ、一節の終わりに揃って綱を引き、そこで突然縄をゆるめるので、錘(おもり)がドサンと音をさせて墜ちる。すこしも錘をあげる努力をしないで歌を唄うのは、まことに莫迦らしい時間の浪費のように思われた。時間の十分の九は唄歌に費やされるのであった。

 労働者たちが、二重荷車を引っ張ったり木梃(てこ)でこじたりしていたが、ここでも彼らが元気よく歌うことは同様で、群を離れて立つ一人が音頭をとり、一同が口をそろえて合唱すると同時に、一斉的な努力がこのぎこちない代物を六インチばかり動かす、という次第なのである。

東洋文庫は3冊本なので、もっとこういう記録はあるかもしれません。エンヤコラは、力を込める時のかけ声なのでしょう。せわしく、ドサン、ドサンと落とすのではなく、やすみ休み、間を置いているので、非効率的に見えたのでしょう。また、何かの歌をうたって、15センチ動き、また歌をうたって15センチ動く。これまた、非効率に見えたでしょう。民謡のソーラン節、木遣り歌などの労働歌が、その名残りなのでしょう。「せっせせーのよいよいよい」というかけ声もありました。「じゃんけん(ぽん)」もそうか。

 実際に労働しているのが「実」だとすれば、その間が「虚」と考えると、味わいが深い。そういえば、鍼でいえば、前揉撚が虚の作業で(日曜日に『霊枢』刺節真邪篇を読んだばかり)、実際に刺すのが実の作業。日本では虚実行うが、中国では実しか行わないのは、『内経』の刺鍼法とはおもむきを異にしている。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿