①孔子在世→没後は孔子の真意が失われる→孟子が補益する
この流れで、伊藤仁斎は『論語』と『孟子』を教材とする。
②孔子在世→没後は孔子の真意が失われる→老子が補益する
この流れで、『老子』を標準にして、『論語』を読み直すこともできる。
いま、考えているのは、以上のようなことです。
②でいえば、
「老子の書を能く通暁して論語を読むときは、夫子の寛裕、舒泰、温和、宥恕の気象を知り得て、後世の儒者の厳粛、刻迫にして、努めて小人を去り、愚昧を悪むことは、夫子の教と大に異なることを覚るべし。」-森共之『老子国語解』
『老子』の大意を知ると、孔子が「寛裕、舒泰、温和、宥恕」の大人物であることがよく分かる。反対に、朱子学者の「厳粛、刻迫にして、努めて小人を去り、愚昧を悪む」という態度は、孔子とは大いに隔たりがあると言っています。
②の態度で、仁斎を読むと、孔子の真意がわかりそうなのです。孔子の真意が分からないと、いつまでももやもやなのです。
一貫して編集された古典ならば、その大意は一すじであろうけれど、『素問』『霊枢』となると、論文集なので、大意を推しはかることはとても難しい。それが、難読たるゆえんかも知れません。だから『素問』『霊枢』も、いつまでももやもやなのです。
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