2017年12月1日金曜日

乱に及ばす

 孔子は、お酒が好きだったらしく、「ただ酒は量無し。乱に及ばず」(郷党篇)とあります。日常生活は厳格だったらしいけど、お酒には緩やかだったようです。「酒は量無し」は若い時のことか、晩年のことかは判りませんが、「七十にして心の欲する所に従うも、矩をこえず」(為政篇)とありますから、おそらく晩年のことだろうと思います。

 若い時は、飲酒して理性を失い、血気のままに行動して、失敗することもあるでしょう。若い時の孔子は、節制していたのだろうと思います。たとえば、何かしでかして、人に悪まれたりすれば、「年四十にしてにくまるるは、それ終わりなるのみ」(陽貨篇)というような発言はできないと思います。40才にもなって、人に悪まれたり、嫌がられるようでは、将来の見込みが無い。なんと強い発言でしょうか。

 日馬富士は、結局、引退しました。理性を失うほど飲酒しなければ、このような事件は無かっただろうと思います。かつて教わったことのあるテニスのコーチは、飲酒して階段からおち、足を骨折して、大きな大会に出られなくなったそうです。スクールも任せられているようですから、任せた方は怒り心頭に達しているでしょう。心を入れ替えて、出直すしかありません。それにしても彼のテニスの能力がもったいない。

 『素問』上古天真論にも、水のように酒を飲むことを命を縮める原因としています。飲酒を禁じているのではありません。適量を守るべきだと言っているのです。この適量を守ることは、養生の大原則なのです。

 このたびは、理性を失うほどの飲酒の事故2例で、養生教育の必要性を痛感しました。

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