30日と31日と、ボクシングの世界戦が、いくつか組まれていた。
内山をのぞいて、日本人の勝利だったが、戦いおわった戦士は、スマートなものであって、へとへとになるわけでもなく、顔もきれいであった。息もあがっていないし。田口なんかは、判定で防衛したすぐ後に、内山の応援にまわっていた。
むかしは、戦いおわると、顔は腫れ、まぶたは切れて、ぼろぼろだったような記憶が強い。まさに戦闘。たましいのみで戦っていたのではないか。今は、そのたましいを受け継ぎながら、そのうえに技術を高めているようだ。
一時期、日本人の世界チャンピオンが居なくなったときがあったが、そのときはハングリー精神の欠如が原因だと言われましたが、ハングリー精神というか、たましいというものは、環境によって醸成されるものではなく、生来のものでは無いかと思う。
しかし、生来のたましいはそのままでは不発におわり、それに火をつける人がいる、啓発される事があって、はじめて活性化する。ということは、自分の力だけでは不発におわるだろうし、まわりの啓発に気がつかなくても不発におわるだろし、自分の殻にとじこもっていてに不発におわるでしょう。
火を着けたという意味では、広島の黒田選手が好例でしょう。ボクシング界も、よい流れになっていると思う。指導がよくなっているのかもしれないし、よいライバルがいて切磋琢磨しているのも、好循環につながっているのでしょう。
たましいの問題は、今後、鍼灸の世界のキーワードになるに違いありません。
それはそうと、技術はだいぶ高まっているようです(素人目ですが)。やはり、続けること、工夫すること、無心であること、こういうことが技術には大切だな、と年末に思いました。
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