2016年12月26日月曜日

温良恭倹譲

 京浜東北線の南浦和駅のホームから、敷地は200坪はあろうかと思われる、和風の立派な家が見える。庭には茶室と思われる小さな建物もある。よほどのお金持ちだったのでしょう。

 ところが、いつのまにか解体されて、今は更地になっている。きっと、マンションでも建つのでしょう。遺産相続のために売却されたのかも知れません。

 どういう理由が知りませんが、建って20年もしない立派な住宅が壊されるのは、実にもったいない。その住宅を壊して、マンションを建てれば、相当に儲かるのだから、安いものでしょうが、経済的な損得で、丹精こめて造ったものが壊されるのは、実にもったいない。

 子禽が質問するには「うちの先生(孔子)は、どこの国にいかれても、きっとそこの政治の相談をうけられる。それをお求めになったのでしょうか。それとも向こうから持ちかけられたのでしょうか」

 子貢がいうには「うちの先生の性格は、温良恭倹譲。なので、どこの国にいっても相談を受けられることになるのだ」

 温(おだやかさ)、 良(すなおさ)、 恭(うやうやしさ)、 倹(つつましやかさ)、 譲(ひかえめ)を持ち合わせていたという。それゆえに、いろいろ相談が持ち込まれていたらしい。

 この中の倹約は、老子も重視している。

 老子も、慈・倹・敢えて天下の先にならないの三つの宝を持っている。慈(いつくしみ)、倹(つつましやかさ)、敢えて天下の先にならない(沢庵によれば、謙ひかえめである。中国のふたりの哲人はとても良く似ている。

 ついこのあいだまでの日本に浸透していた「もったいない」の精神は、ふたりの倹約の精神の延長線上にあると思われる。

 食べ物を粗末にしない、修理して大切に使う、というように、日本の日常に遍満していた倹約の精神が、いつのまにか、損得、消費、使い捨てのほうが美徳とされ、倹約は悪徳のようになってしまっている。
 
 本当に日本人は変わったとおもう。

 養生は、倹約の精神の延長線上にあると思う。そうすると、養生の教育のまえに、倹約の精神の教育が先なのだなあ、と気がついた次第。



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