2016年6月27日月曜日

和田東郭先生

 今年60歳。和田東郭(1742--1803)先生に近い年齢になった。けれども、和田先生の気高さには、足元にも及ばない。何もかにも及ばないのだが。

 和田先生は、さきに吉益東洞に入門し、その人柄を嫌って辞し、最終的には折衷派の大家となった。古方を学び、後世方を学び、最終的にそれを混ぜ合わせたのが折衷派。そう思っていたけど、彼の塾の「医則」を読んでみると、そうではないことに気づいた。

 「医則」には、彼我の分が無い、死地に陥いんと欲する者は活路を得ん、色を望むに目を以てせず、とかあり、ここから老子の思想が読み取れる。「医則」に入れるくらいだから、相当に読み込んでいるのであろう。

 老子が影響しているのであれば、古方と後世方の区別は、和田先生には無いことになる。おそらく、一つの医学の、A面が古方で、B面が後世方であり、分けるべきではない、そう思っていたはずである。

 和田先生は「一」に復帰したのである。だから、両者のいいとこ取りして、折衷派を作ったのではない。和田先生は、まことに純粋である。沢庵の『老子講話』を歩み、森共之の『老子国字解』をたどり、和田先生に至り、感慨ひとしおである。

 日本鍼灸も「一」に復帰すべきではないだろうか。

 


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