情勢が変化するその境目のことを潮目という。
東日本大震災は、日本の潮目だったような気がする。無駄遣い生活から、質素倹約の生活に転換しなければ成らなかったのかも知れない。大きな企業、シャープやら、東芝やら、あるいは潮目の読み違いだったかも知れない。あるいは、潮目を読まなかったのかも知れない。経営が順調で、慢心していれば、行け行けどんどん、潮目なんぞ読んでいなかったかも。
清涼飲料水の自動販売機があちこちにあるけれど、そんな国は他には無いらしい。一時ののどごしのために、膨大なエネルギーを捨てているのだから、気が狂っているとしかいいようがない。そういうことを反省しないで、行け行けどんどん、邁進しているようでは、危ういのではないか。
『霊枢』の天年篇には、人生の潮目が書いてある。100歳を天年(自然の寿命)とし、前半の50年が「実」の人生で、後半の50年が「虚」の人生だという。すこしずつ増えていく人生と、少しずつ失っていく人生に分けられる。増えるのが良い、減るのが悪いというのではなく、ごく当たり前のこととして、増える・減るのであるから、それをきちんと認識して人生を送るべし、という風に解釈できる。
50歳が潮目だとすれば、「日なたの人生」から「日かげの人生」に変わったことになる。動から静へ行き方を変えるべきなのかも知れない。たしかに、50歳代は、40歳代と同じように仕事ができるけれど、疲労回復が遅い分、身体へのダメージは大きいような気がする。という意味で、仕事量を減らしたり、悩み・苦労の量を減らしたりして、後半戦に余力を残しておくべきなのかも知れない。50歳代は、むずかしい年代である。
一昨年、自分が思っている以上に、身体が蝕まれていたので、日本伝統鍼灸学会の副会長職を辞した。人生の潮目という意味では良かったと思っている。『内経』を読んで天年を知っているのであれば、何はさておいて、天年を全うするのが勤めであろう。
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