2016年5月9日月曜日

『千金方』灸例

 『千金方』巻29に「灸例」という文章がある。施灸の凡例というタイトルだが、ツボの意義、ツボの取り方、艾炷の大きさ、施灸の時間帯、施灸の順番、灸の生熟法など、面白いことがたくさん書いてある。

 施灸家の必読文献だと思って、解説を書いて、その下書きを編集長に見せたら、面白いというので、昨年のお盆休みに一気にまとめて、『医道の日本』に投稿した。

 掲載するかどうか編集会議にかけますので、待ってくださいと連絡あったきり、音沙汰無し。4月末になって、他の原稿依頼のメールがきた時に、『千金方』灸例は機会を見てご相談しましょう、ということで、非掲載になったらしい。

 非掲載になったことより、編集会議の結果の報告が無かったのが残念。非掲載は、『医道の日本』は、古典に距離を置いているようなので、落胆するまでもないが、段取りが悪いのが、何とも気持ち悪い。

 気持ち悪いので、他の原稿依頼も、断ったのだけれども、ここで『医道の日本』と縁が切れると、古典を広くアナウンスする場が無くなるのが問題。

 そこで、老子が出て来て、「聖人は争わず」と。気を取り直して、『千金方』灸例原稿を、再投稿しようかと思った次第。

 灸の生熟法というのは、現今には無い概念。材料としては、生艾は粗製艾、熟艾は精製艾。灸法として、さっと熱を通すのが生法、じっくり熱を通すのが熟法。知熱灸生法で、灸頭鍼は熟法。本来の意義は、知熱灸はさっと熱を通し、灸頭鍼はじっくり熱を通すということが理解できていれば、、活用・運用が上手になるのに・・・・・

 施灸の時間帯は、午前は適せず、午後が適しているという。施灸の順番は、頭から足へ、左から右へ、という。

 艾炷をつくるのは表であり、施灸の考え方などが裏にあり、表裏一体となって施灸が完成するのに、表ばかりじゃ、ダメですよね。どう考えたって。こうなったのは、お灸は、鍼の代用、代替と見なされているからなのです。日陰の道を歩んでます。負けるな、お灸。
 

 

1 件のコメント:

  1. 江戸時代の『一灸万全』には
    「古人灸するに午以後を以て善とす。然ども此三里の如きは、鎮神下降を要とすれば、平旦を以て善とす。寝を離れざる時を以尤よしとす。」
    と書いてあります。
    古典には昼過ぎが良いと書いてあるが、三里は気を下げることを優先するので、朝方、寝起きが良い。ということでしょうか。

    据える場所により、その意味合いにより艾の質も据える時間も変えていくのは、お医者さんが薬を飲む時間を指定するように、養生灸をする時間を指定することも、養生指導のために必要なことなのでしょうね。

    新しい養生指導の資料が作れそうです。

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