6月5日に講師をつとめる「温灸実践セミナー」は、午前・午後、定員が埋まったようで、ひと安心です。
わがままを言わせてもらえば、東北の片田舎の出身者ですから、静かに目立たない人生を願っています。ただ、頼まれれば断れないという性格のために、みずからの願い虚しく講壇に立ってしまっています。
お話することは、おもに知熱灸と灸頭鍼で、どちらも島田先生から教わった方法です。あらたに工夫したのは、小知熱灸くらいです。ぼくの努めは、この方法を後輩に伝えていくことだと思っています。教わったというより、視て覚えたものですから、コツさえわかれば応用可能です。それほど難しい技術ではないのですから。ただ必要なのは、こころの純粋さ、だろうと思います。
『論語』に、孔子は「一隅を挙げて、三偶をもつて反(かえ)さざれば、復(ふたた)びせず」といって、一つのヒントを挙げて、三つの答えが返って来ないようであれば、再びヒントをあげることはしなかったらしい(述而篇)。
伊藤仁斎は、「教えをうけ入れる素地がないときには、まるで種を不毛の地にまくようなものである。季節に合った雨が降っても、芽を出さないのは何ともしようがない」という。
仁斎のいう素地とは、能力が低いことではなく、こころの純粋さである(に違いない)。それは、『論語』に「思い、邪(よこしま)無し」とあるように、一通した哲学である。仁(忠恕)とは言うものの、こころの純粋さがなければ、仁は発揮されない。『論語』は「仁」がテーマになっているらしいが、「純粋」で読んだほうが核心なのでは無いか。
三つの答えが出ないのは、不純だからで、先生に気に入られたい、嫌われたくない、自分が優れていることを示したいなど、いろいろ考えているからなのです。かくいう樸も、セミナーでは、良い所をみせたいという不純なこころを持っています。せめて、本番は、素(す)で臨みたいと願っています。(願っているのも、不純なのですが。)
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