2016年2月29日月曜日

地(ぢ)の視点

「地」は、日本語用法で、
①その土地の。地方の。(地元。地酒)
②人の肌。(地肌。地黒)
③染色や加工をする以前の、土台となる紙や布や金属。(生地)
④生まれつきの本性。(地が出る)
⑤文章や語り物で、会話や歌を除いた叙述の部分。(地の文。地謡)
⑥舞踊で、伴奏となる音楽や歌。(地を弾く)
⑦馬を普通の速度で歩ませること。(地乗り
 という用い方をする。このように使っているのをみると、よほど「地」が好きなんだろう。

 基本的には、派手対して、地味という印象をおぼえる。彩り、華やか、飾り立て、その反対の意味だ。素地的、基本的、という意味で利用されている。そこを大切に思っているがゆえに用例が多いのでしょう。華やかさだけを讃えない、地味を忌避しない。華やかなのと、地味なのと、ふたつが混在していて成り立っている、という冷静な判断、片寄らない心が、そこに在る。両方が必要だと思っているし、両方に良い印象を持っている。

 今の、私たちは、金持ち、出世、贅沢を、地の部分から逃避するがごとく、追い求めてきたのだけど、ここで一旦立ち止まって、こころ静かに考え直したいところです。地から離れることを、「浮ついている」「舞い上がっている」というのかも知れません。

 サッカーでは、ホロペイロ(用具係)という専門職がいて、用具やウエアを管理・ケアしていて、選手からは尊敬されているとのこと。用具やウエアだけでなく、ピッチを整備しているひと、営業活動をしている人。そして、それら人々を支えている人がいる。こうした支えている人たちが地の人で、選手と地の人の総合力で、サッカーの興業が行われている。どちらに優劣が有るわけではないから、表の選手は裏方を尊敬し、裏方は表舞台の人にへりくだる必要もない。理想的な関係ではありませんか。

 表だけでなく、地にも思いをはせる。そういう心持ちがあったのではないでしょうか。広く思いがとどく、配慮ができる、そういう私たちの優れた点をとりもどすために、勝ち組的に猛進する、その速度をゆるめ、あるいは立ち止まり、冷静に地を見詰め直したいところである。

 かりに、治療が表だとすれば、裏は何だろう。治療して、治ることが表だとすれば、治らないことは裏。裏を忌避していないだろうか。治らないことも大事だとすると、治療というのは何を目的にしているのだろう。治るための反省材料だとすれば、やはり治ることを重視していることになる。やはり一面的である。

 じっくり、治療の表と地というものに、取り組みたいと思う。それは、自画自賛かも知れないが、「地の視点」を持つ、日本人の役割なのかも知れない。

 

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