2月11日に第1回先人顕彰会をもよおし、丸山昌朗先生の生誕100年のお祝いをしました。多くの方が集まってきてくれました。先生も喜んでくれたのではないでしょうか。
ご家族からは、次男の二郎さん、長女の路子さん(と旦那さん、お子さん)が来てくれました。二郎さんは、昌朗先生とよく似ていて、直に昌朗先生とお会いした気分がしました。八木下先生の遺品といい、「直」は貴重であり、大事にせねばと思いました。「直」は一期一会だなとも思いました。
資料として、丸山先生を囲む座談会、城一格先生・城貞子先生の追悼文をまとめました。一格先生は丸山先生の師匠で、一格先生没後は、貞子先生に刺絡や艾のひねり方を伝授された模様。それが島田先生に至り、そして自分に到達したことがわかりました。
艾のひねり方は、島田先生に「丸山先生の・・・・」と説明を受けたのですが、肝心のところを忘れてしまったので、島田先生のご子息や兄弟子達に聞いてみたのですが、誰もその由来をしりませんでした。丸山先生の追悼文を読むと、貞子先生が工夫したものと思われます。
通常は、左手の拇指と示指でひねり、右手で撮んで皮膚に置く。島田先生に教わった丸山先生のやり方は、左手は艾を持つだけで、右手の拇指と示指でひねって皮膚に置く。そのひねり方もふんわりとひねるので、燃焼温度が低く、さらに灸熱緩和法にも工夫があるので、追悼文のように子供から大人まで適応させるために、燃焼温度を自由自在にコントロールできるのである。
ながねん、ルーツがわからずに、もやもやしていたのが、2月11日に晴れました。
しかし、技術を伝承することは、なかなかに難しいことで、教えたとしても、教わるほうが受け継ぐたましいがなければ、途絶えてしまう。教える、教わるだけで、決着せずに、お互いにたましいが存在しないと、このはかない技術は霧散してしまうのである。
教わる側のたましいが奈辺にあるか、探しても見つからないのだろうから、まず教えねばならないと思った次第。
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