2015年12月14日月曜日

六不治


 『史記』扁鵲倉公列伝は、扁鵲の段と倉公の段に二別されるが、扁鵲の段の末に「六不治」とういう一章がある。有名なのだが、「不治」に対して誤解されているので、一言。 「不治」は、「治らない」と訳されることが多いのですが、「治らない」のは「不已」「不愈」とあらわします。「不治」というのは、「治療を加えない」という意味です。
 
 なので「六不治」とは治らないケースではなく、扁鵲が治療したくないケースです。たとえば第一の不治は「驕恣にして、理を論(さと)らず」といい、おごり高ぶって、自分勝手で、道理を理解しないようなヤツです。実際、こんなヤツでも病気は治りますから、やはり治らない理由ではなくて、手を出したくない理由なのです。
 
君有疾、在腠理、不治將深」
 扁鵲が斉国の桓侯に対して言ったことばです。貴方には病気があります。病気は腠理にあります。治療しなければ(治せずんば)、病気は深く隠れてしまうだろう(将に深(かく)るらん)。実際には桓侯の治療はしていませんので、「治らなければ」とは読めません。『内経』にも死不治」という句が出てきますが、「死が近い、なので治療しません」という意味です。「死が近い、治りません」という意味ではありません。

「治る」という意味では、倉公の2番目のカルテに一日氣下、二日能食、三日即病愈、」とあります。服薬して3日目で病気が治癒したとあります。3番目のカルテも「三飮而疾愈」とあります。また、5番目のカルテには「一飮即前後溲、再飮病已」とあります。「愈」と「已」は同音で、通用し、「いえる」という意味です。
 
 折角ですから、扁鵲先生が治療を断る6つのケースをみておきましょう。
   
 驕恣不論於理(おごりたかぶって、自分勝手で、道理を理解しようとしないヤツ。)
 
 輕身重財(身体よりも、金銭を大事にするヤツ。)
 
 衣食不能適(衣の適度さをコントロールできないヤツ、食の適度を守れないヤツ。)
 
 陰陽并、藏氣不定(陰気と陽気が交戦し、蔵気が不安定なとき。陰陽并は『霊枢』玉版篇によれば悪性腫瘍ができている状態。)
 
 形羸不能服藥(身体がやせ、薬も飲み込めない状況のとき。)
 
 信巫不信醫(お祓いを信じ、医者を信じないヤツ。)
 
 有此一者則重難治也(このうち一つでもあれば、私には重荷。加療しがたい。)
 
 最後の「重」は、「重ねて」とも読めるが、「有此一」とあるので「重ねて」とは読めず、「重くして」とも読めるが、「軽身重財」が必ずしも重病とは限らないので、いろいろ考えてみると、このような人たちの治療は僕には「重荷」だ、というのが一番落ち着くところである。

 

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