2024年3月5日火曜日
嚢胞症その4
2024年3月3日日曜日
養心の証明
昨年秋に出した『養心のすすめ』では、心を空っぽにすれば、健康を維持し、長寿を達成することができる、と説きました。今年からは、その証明の生活に入ります。そうでなければ、おおほらふき、と言われるでしょう。
若い時から心を空っぽにすれば、100歳まで到達することができますが、今頃になっては、すでに遅し。それでもこれから努力すれば、80歳、90歳ぐらいは到達することができるはずです。
というわけで、仕事量を減らす、我慢をしない、気を使わない、ということをコツコツ続けていこうかと思っています。丹塾古典部を閉じたのは、その一環です。昨年は、ほぼ毎週、講座か、講演をしていました(オンライン・対面)。その結果、掌蹠膿疱症になったのですから、そんな無茶はやめて、「養心」につとめることにしました。
『老子』63章に「軽々しく諾するは、必ず信寡なし」(軽々しく安請け合いする者は、必ず信実に乏しいものである)とある。かつては「ためらいなく」請け合うのが『老子』的だと思っていたけど、いまは63章のいう通りだと思っている。養心のために、講演は安請け合いしない方針である。
丹塾古典部閉じる
2011年9月から始めた丹塾古典部は、15年目で閉じました。いろいろな古典を読みました。最後は『難経』と『六診提要』でした。『六診提要』は2巡りしました。とてもよい診察の教科書です。丹塾古典部の仲間以外は、読んだことはないかと思います。
『六診提要』があれば、読む。しかし、大抵の人はあっても、読まない。あることも知らない。でも、2巡りも読めたことは、つよい「縁」があったとしかいいようがない。江戸時代の先生方が残してくれた叡知は、きちんと受け継ぎたいとおもう。
中国の先生方の叡知は、思想(陰陽五行説とか)が見え隠れして、なかなかなじめないが、江戸時代の先生方の叡知は合理的で、誠実で、とてもなじみやすい。
以上、15年続いた丹塾古典部閉じる、という話題でした。
2024年2月20日火曜日
コンクリートのがら
土地を造成するとき、いろいろな物を埋めたらしく、多いのがコンクリートのガラ。それが整地している裏の駐車場からも出てきています。少々の大きさでは驚かないですが、人の背丈以上のものが出てきたので、写真をとりました。奥のトラックと比べてみればよくわかります。
*次の朝、近くで撮ってみました。大きなお相撲さんのようでした。
2024年2月16日金曜日
六道輪廻
死後、生まれ変わる6つの世界を六道といい、天上、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄である。死んでは生まれ変わるのを永遠に続くのが輪廻。
子どものころは、六道輪廻は知らいけど、日常のことばに使われていました。
修羅は、事故現場や泣き叫ぶ場面など修羅場といいます。テレビのニュースやドラマで流れてきます。以前は、テレビのニュースを見ながらご飯を食べてましたが、自分に修羅の心があるのに気がつき、修羅の心がエスカレートしないように、ニュースは見ないようにしています。
餓鬼は、いつもお腹が空いて食べたがる子どもをガキといいますが、がつがつして満たされないようなことです。待てずに、立って食べたり、手づかみで食べたら、怒られました。餓鬼の心をたしなめられたのでしょう。
畜生は、犬とか猫のことを言っていました。ペットではなく。相手をののしって「こんちくしょう」とか言います。
日常に六道を使って教育していたのですね。仏教徒でなければ、気にする必要は無いでしょうが・・・
2024年2月13日火曜日
『老子』四章「和光同塵」
池田知久は、「和光同塵」を「己の知恵の光を和らげて、塵のような渾沌たる世界と一つになった」と訳し、「自分の能力を包み隠して俗世間と交わる」という意味の処世訓として有名である。しかし、この理解は「和光同塵」の正しい意味を把えそこねた通俗的な解釈であるという。(池田知久『老子』講談社学術文庫
「塵」を一般的には俗塵の意味にとるが、池田は「道」の渾沌の意味にとるところが異なる。出典の四章では「挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵」となっていて、「解其紛」と対になっている。「紛に解けこむ」「塵と一体になる」=紛・塵に解けこむ・一体になる、となり、この紛・塵が「道」の渾沌を表していることをいう。
そもそも「包み隠して俗世間と交わる」とは、包み隠すことは人為であるから『老子』は言わない。やはり、小賢しい知恵を捨てて(人為を捨てて)、道と一体になる、が本意である。
2024年2月2日金曜日
嚢胞症その3
上の写真が、12月初め。下の写真が、2月初め。2か月経過です。写真の撮り方が下手で申し訳ないですが、だいぶ良くなってきました。2か月前は、真皮層まで到達して、割れると痛いような状況でしたが、今は表皮層だけのようで、割れるようなことはありません。
前に紹介した、藤平健先生の『百味箪笥』に、藤平先生が、機能性ディスペプシアに罹患したとき、自分で、湯液を処方したが、癒えず、友人の小倉重成先生から、縄跳びすると良いと教わって、せっせと縄跳びしたら完治したという話が載っていました。





