2015年1月5日月曜日

京都(その5)

 京都仏眼の最初の話は「文質彬彬」でした(記憶では)。文は、彩で、飾り気、いろどり。質は、質素、素朴で、飾り気の無さ。彬彬は、半々。君子(目指す人物)は、飾りの部分、飾らない部分、相反する要素を両方持ち合わせるべきだ(孔子の言)。いいかえれば、清濁併せのむ、繊細にして豪快。

 京都は、文の町で、粗野なところが無いような気がします。田舎の大名は、京都に来て、びっくりしたんでしょうね。その勢いで、京都を地元に再現しようと、桃山式の神社仏閣を造ったのでしょう。
銀座にあこがれた「~~銀座」があちこちにあるのと同じ理屈です。そういえば、銀座も文ですね。

 鍼灸の話題にうつせば、文は理論で、質は技術でしょうか。理論が多ければ、いろどりに富み、華々しい。質が多ければ、地味で、目立たない。いままでの鍼灸は、地味だったけど、今後は華々しさがほしいところ。そういう理由で、中医学に期待するところが大きい。また、古典の役割も大きい。ただ、やはり半々なので、文が過剰にならないように。
 

 こうしてみると、日本伝統鍼灸学会という団体は、本拠地を京都において、学術大会は京都で開催して、文を補強すべきと思う。たんに学問を積み上げるのではなく、文とはどういうものなのか、目で見て、口で味わい、皮膚で感じ、その上で、鍼灸の理論を補強すべきだ、と強く思った次第。

 かくして、今回の京都の講演は、機会を与えていただいた小林先生に、深く感謝するしだいであります。




 

 

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