2014年9月2日火曜日

直観

 柳宗悦の『茶と美』(講談社学術文庫)を久しぶりに読んだら、

 「直観は、その文字が示すとおり、見る眼と見られる物との間に仲介場を置かず、じかに見ること、直ちにみることである」

 という記載に出会った。この本も、何度か読んでいるのに、この文章を拾えなかったのは、味わう能力が未だ及ばざるが故なり。少しは成長したみたい。

 何か食べたいときに、美味しい店を検索したり、他の人の意見を聞くことがあるが、それでは直観にならない。自分の舌で決めるべきである。直観しないかぎり、いつまでも直観に達しない。いつでも人の意見を聞いているかぎり、独立できないし、自由になれない。直に、自分の目で、観る。直に、自分の手の平で、診る。鍼灸は、直観の医療なのである。

 直観といえば、東京国立博物館の「有楽井戸」を思い出す。ケース越しに覗いた茶碗に惹かれてしまって、しばらく茶碗に凝ったことがある。この茶碗を持ってみたい。触ってみたい。そういう衝動に駆られてしまった。結局は、同じ系統の茶碗を入手して、満足してしまったのだが、記憶に残っている直観といえば、「有楽井戸」である。

 『茶と美』に「喜左衛門井戸を見る」という一文があり、著者の柳が、国宝の「喜左衛門井戸」を直に見ることができて、そのときのことを文章にしたものである。その時の気持ちがとてもよくわかる(けど、雲泥の違い、月とすっぽんの違いがある)。

 眼の前にあるのである。持って良いのである。触って良いのである。このような機会は二度と無いのである。あこがれの「喜左衛門井戸」なのである。高揚感に溢れる一文である。

 『茶と美』のカバーは、その「喜左衛門井戸」なのだが、ほれぼれします。しぶい。




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