2014年9月4日木曜日

喜左衛門井戸






喜左衛門井戸4


 写真が、「喜左衛門井戸」である。喜左衛門という人が所持していた井戸茶碗である。井戸茶碗というのは、朝鮮で作られていた、ごく普通のどんぶりである。これを高麗茶碗という。


 大量生産品で、美術品ではない。「喜左衛門井戸」は、失敗作らしく本来は捨てられたはずのものが、どういう運命か日本の茶人に拾われ、いまや国宝である。つまり、ゼロ円の品物が、もし完成品だとしても100円くらいの品物が、日本に渡り、島根の松平不昧公が買ったときは550両(1両10万円として5500万円)。そして、今や国宝に。


 ご覧のように、綺麗で整った美術品ではなく、どちらかというと見にくいゆがんだどんぶりである。なので、産地の朝鮮では価値は認めてもらっていない。なぜか、日本の茶人が、渋いだとか、わびだとか言われて、美術品に昇華したのである。


 評価の対象は「無作為」。美術品を作ろう、高く買ってもらおう、世間にみとめてもらおう、そういう作為が全くみられない。柳宗悦は、「朝鮮の品々は、嘗ていやらしいもの俗なもの、つまり醜いものが、殆どないのである。」「ここで醜いという言葉を<罪深い>という言葉に置きかえると、尚はっきりしてくる」と言う。


 醜いというのは、見た目の醜さではなく、裏に見え隠れする「作為」である。高く買ってもらおう、世間に認めてもらおう、そういう作為である。それが、井戸茶碗だけでなく、なんにでも、そうだという。


 井戸茶碗に、透明な精神性があり、それを茶人が発見し、好んだのである。


 江戸時代、高麗茶碗をつくる対州窯が設置され、明治末年まで継承されていた。昭和になって、小林東五という人が再興し、一定の評価を得ていたが、70歳になって、廃窯した。理由は「調子に乗ると見苦しい」。


 『老子』第九章に「功成りて、身退くは、天の道なり」を具体化したのである。ほんらい「無作為」のものを作るのに、有名になってしまって、こんどは有名を維持するために制作するのが「見苦しい」というのである。


 天の道に外れているから「見苦しい」、不自然だから「見苦しい」。老子を再び考えよう。
 

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