2022年8月23日火曜日

仙台育英

  出身校の仙台育英が、甲子園で優勝。在学が半世紀前なので、思いはさほど重くはないけど。在学中も甲子園出場で、1500円くらい集められたと記憶している。

 当時、普通部と商業部があり、それぞれ15クラスづつ、合計30クラス。3学年だと90クラスになる。40人が在籍していたとすれば、1学年1200人、3学年3600人。マンモス校でした。

 公立高校入試で落ちた学生が、仙台市内の私立高校に掬い上げられて、その1校でそんな学生数でした。いま振り返れば、受験した学校が仙台のはずれで、拾われた学校が宮城野原駅前でしたから、落ちて良かったかもしれません。

 一応入試があり、成績順で、1組・2組・3組・4組にわけられ、それ以外は組に差が無かったとおもう。どういう分けか、1組にはいって、高校生活が始まったのですが、おどろいたことに、すでに2浪者が数人、1浪者も10人くらいはいました。大学はいるのに浪人とは聞いていたけど、高校浪人もいたのです。

 2浪の一人のⅯ君は、秋田市の出身で、矢本町(現東松島市)の親戚の家から通っていて、親戚の家にも、実家にも遊びにいきました。もうひとりのS君は、仙台に住んでいて、あそびに行くと、よくビールを飲んでいました。S君の親父が経営している土木工事の手伝いで、福島の山の中の送電線の工事現場にアルバイトに行ったこともあります。そういえば、S君が運転する車で、川崎に行ったことがある。

 いろいろ思い出したら、すごい学校だったんだなあ。

 

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