2014年3月31日月曜日

丸山先生の墓参

 3月30日(日)、丸山昌朗先生の墓参。折しも、強い雨、激しい風で、荒々しい墓参でした。
 金古先生は、遺影でご参加。お墓の前で、カレーを相伴しながらの一時を思い出しました。
 
 

 鎌倉に行く電車の中、「島田君は貧乏しなければならない」という言葉を思い出して、味わっていました。『著作集』159ページにある言葉で、島田先生が開業するときのお祝いの言葉。「貧乏ほど尊いものはありませんよ」とつづく。

 樹木が、栄養が無ければないほど、水分が乏しいければ乏しいほど、深く、広く、強く、根をのばすように、中途半端な小銭は返って害となり、根が伸びない。根が伸びないということは、基本が育たないことを意味するか。鍼灸界を背負ってたつためには、鍼灸を、深く、広くたがやすための時間が必要であることを、言っているのではないか。

 『論語』に、金持ちが、得られるなら、卑しい仕事でもなんでもやるが、得られないのであれば、吾が好むことをやりたい、とある(述而篇)。孔子は、金持ちを否定しているわけではなくて、できるならば金持ちになりたい。ただ、確立としては、とても低い。そんな狭き門の前で汲々しているより、広々としたところで、自分の好きなことをすべきではないか。前途有望な学徒を、営利のために、その歩みを曇らせたくないという師匠の慈しみなのか。

 
 島田先生は、菅沼周桂の『鍼灸則』の序文「豪傑の一道を復古する」をよく引かれてましたが、鍼灸道を発展させるためには、広い視野をもち、深い学識をそなえなければならないでしょう。自分のことだけに構っている場合ではありません。少なくとも、深くて広い学識をえるには、相当の時間が必要でしょう。

 というようなことを電車の中で考えていましたが、それでも「貧乏ほど尊いものはない」は、汲み尽くせませんでした。

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