2014年3月17日月曜日

慈しみのこころ

 物理学出身の植木雅俊という先生が、仏教に興味をもち、サンスクリット語の原典を読み、仏教の本当の教えはどういうことなのかを書いた『仏教、本当の教え』(中公新書)を読んだら、とても面白かった。この本は、2年ほど前に買った本で、ちらっと読んで積んであったもの。その時は、おもしろくなかったが、偶然、出てきて、読み始めたら、なんと面白いことか。この2年ほどで、大人になったんだなあ、とうぬぼれています。
 良い本と悪い本というのはない。高いとか安いとかいうものも存在しない。確信を持った次第である。

 ところで、仏教の本当の教えとは。
  • 自己を制し、他人を利益し、慈しみに満ちていることが法である。
  • 何かに執着し、何かに囚われた自己にではなく「法に則って生きる自己」に目覚めさせようとしたのが仏教であった。その自己は、法に則っているが故に「真の自己」なのである。
  • 仏教がめざしたことは、「真の自己」の覚知による一切の迷妄、苦からの解放であったといえる。

 如何に仏教に対して無知であったか痛感しました。仏教の本当の教えを知って、とても安心しました。お墓のこととか、お葬式のこととか、お布施、戒名、ということは、本当の教えとは無関係の様子である。
 そして、「立っていても、歩いていても、坐っていても、臥していても、眠っていない限り、この慈しみの念をたもつべきである。」といっていました。究極は、慈しみのこころを持つことのようです。
 

 同じ内容が、『論語』にもあって、おどろきました。「君子は終食の間も仁に違わず、造次にも必ず是に於いてし、顛沛も必ず是に於いてす」、君子は、食事中も仁愛をわすれず、急ぎのときも仁愛をわすれず、転びそうになっても仁愛をわすれない、と。

 孔子が仁愛といい、釈迦が慈愛という。どのような温度差があるのか、いま知らざるも、慈しみの温かいこころが本当の教えであることを知って、力がみなぎってきました。







 
 
 

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