良い本と悪い本というのはない。高いとか安いとかいうものも存在しない。確信を持った次第である。
ところで、仏教の本当の教えとは。
- 自己を制し、他人を利益し、慈しみに満ちていることが法である。
- 何かに執着し、何かに囚われた自己にではなく「法に則って生きる自己」に目覚めさせようとしたのが仏教であった。その自己は、法に則っているが故に「真の自己」なのである。
- 仏教がめざしたことは、「真の自己」の覚知による一切の迷妄、苦からの解放であったといえる。
如何に仏教に対して無知であったか痛感しました。仏教の本当の教えを知って、とても安心しました。お墓のこととか、お葬式のこととか、お布施、戒名、ということは、本当の教えとは無関係の様子である。
そして、「立っていても、歩いていても、坐っていても、臥していても、眠っていない限り、この慈しみの念をたもつべきである。」といっていました。究極は、慈しみのこころを持つことのようです。
同じ内容が、『論語』にもあって、おどろきました。「君子は終食の間も仁に違わず、造次にも必ず是に於いてし、顛沛も必ず是に於いてす」、君子は、食事中も仁愛をわすれず、急ぎのときも仁愛をわすれず、転びそうになっても仁愛をわすれない、と。
孔子が仁愛といい、釈迦が慈愛という。どのような温度差があるのか、いま知らざるも、慈しみの温かいこころが本当の教えであることを知って、力がみなぎってきました。
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