2014年3月10日月曜日

必ずや狂狷か。


 『論語』子路篇に「 子曰く、中行を得て、之に与(くみ)せずんば、必ずや狂(きょう)狷(けん)か。狂者は進取し、狷者は為さざる所有り」とある。

 君子になるには、中行(中道)の者でなければならないが、そうでなければ、狂者か、狷者がよい。なぜなら、狂者(きょうしゃ)は、自分で進んで道を求めようとしているし、狷者(けんしゃ)は、なにもしていないようだが、正しいと考えた道理を固く守る力を十分にもっているからである。
 どちらも、道に近いという。

 

 孔子は、弟子には中道者(バランスの良い人)を目指せというものの、実際は中道者になるのははとても難しい。そこで、弟子たちに、狂者たれ、狷者たれ、と言っているのではないだろうか。

 「よ~し、俺ひとりでもやる」といって、『校勘和訓素問』、『校勘和訓鍼経』を、完成させた丸山昌朗先生は、なるほど狂者か。こつこつと、『経絡治療誌』、『日本経絡学会誌』の編集を努められた島田隆司先生は、きっと狷者か。

 

 いま、何となく、古典鍼灸の世界は、静かである。華々しい活動は、あまり無い。では、先細りなのかと思うと、どうもそうではない。狂者と狷者らしき若者が、結構、うようよしているからである。そういう意味では、楽しみである。

 狂者のように出しゃばり過ぎでも、狷者のように控えめ過ぎでも、いいのだそうである。かえって、利発で、要領が良いのが、意外に、道から遠いのかも知れないと、孔子は思っているのだろう。

 

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