2013年11月3日日曜日

養生学

 東洋鍼灸の非常勤講師だったころに、一年に10コマで、養生学を講義することになった。1年が40コマなので、半期で20コマ。その20コマを、漢方と分け合って、養生学をすることになった。東洋医学の3本柱のうちの2本柱が、ご挨拶程度でいかがなものかと思うけれども、全く無いというところからみれば、おおきなステップアップである。

 おそらく、それから10年くらい経っているだろうと思う。このたび、丹塾(第39回 11月10日)で、時間をもらって「養生を考える」と題して、3時間、発表します。

 現在、そのために読んでいるのが、貝原益軒の『養生訓』。いろいろ知った上でよむと、なるほど名著であります。押さえるところはおさえて、はずすところははずして、養生の歴史・要諦をよく知った先生だとわかりました。

 また、読んでいるのが、伊藤仁齋の『童子問』。貝原先生も儒者ですが、伊藤仁齋も儒者。養生が、荘子によって、概念が変わったのですが、その概念でとらえると『論語』も養生書ということになる。荘子によって、養生がどう変わったかというと、生き方も養生なのだ、ということ。これは見逃してはならないのだが、見逃していました。これを見逃していないのが、整体師の野口晴哉先生です。

 養生は養生術によって普及し、道教に吸収されて、いよいよ発展しました。現在の、私たちの養生観は、この延長線上にあります。養生は、養生術だけでないと言ったのが荘子で、生き方こそ養生なのだと提唱しました。が、これが主流になることはありませんでした。『素問』上古天真論篇が、荘子的養生の継承者といえるでしょう。

 養生とはなにか。それを丹塾の講座の中で冷静に見つめ直すことができればと考えています。
興味があったら、丹塾に来てみませんか。

 

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