2013年11月29日金曜日

白隠禅師「坐禅和讃」

 臨済宗中興の祖といわれる白隠慧鶴(1685~1768)と長野県飯山の正受老人の問答。
  正「おまえの悟りを見せてみよ」
  白「そんなものは見せられません」
  正「この穴蔵死人坊主め」

 自分は悟ったと思っていた白隠に対して、自分ひとりの世界に留まっているのは自己満足にすぎず、衆生の救済という仏教の命題にまったく役に立っていないと、正受老人は戒めた。かくして禅の教えを大衆に広めることをみずからの使命とし、そして生まれた「座禅和讃」。

  衆生本来仏なり、水と氷の如くにて、
  水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし、  
  衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ、
   たとえば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり、
  長者の家の子となりて、貧里に迷うに異ならず、
  六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇路なり、
  闇路に闇路を踏そえて、いつか生死を離るべき、
 11月24日、母の一周忌。臨済宗の松島瑞巌寺の僧侶によって詠まれた「坐禅和讃」は、荘子ともかぶり、後藤艮山ともかぶり、なんとも味わい深く聞きました。
 真実は難しく高尚なことばにあるのではなく、身近でわかりやすいことばにあるのだということを、禅の悟といい、儒の仁といい、どちらも目の前の届くところにあるということを、聞きました。
 

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