2012年12月22日土曜日

友あり、遠方より来たる

『論語』の第一篇は学而篇。『論語』のダイジェストであり、小論語ともいわれている。その内容は、学ぶことの楽しさを述べた「学んで時に習う」、共に学ぶ友達がいる悦び述べたのが、「友あり遠方より来たる」、世間から評価されないことをうらまない「人知らずしていからず」の3要素からなる。

2番目の友達が遠くから訪ねてきて楽しいぞ。今では、交通手段があるので、東京から行くのに、大阪でも3時間もあれば訪ねることができる。がしかし、電車も道路もない時代であれば、一ヶ月はかかるのではないか。それも、健康で到達する補償はないのだから、会いに来てくれたのは、万金に値する。

松尾芭蕉が「奥の細道」行では、俳句仲間、弟子達に、何月何日ころ行くからお世話頼む、のような手紙を書いていたかも知れない。「奥の細道」に、いくつかの目的があったとして、その一つが「友有り遠方より来たる」を実行することであろう。

金沢では、弟子の小杉一笑が、師匠に再開するのを心待ちにしながら、旧年の冬に36歳で早世した下りがある。再会を楽しみにしていた芭蕉は「塚もうごけ、わが鳴く声は、秋の風」という句を残した。そのときの、慟哭ぶりがめに浮かぶ。

福井では、等栽という人が、10年以上も前に芭蕉を訪ねてきたことがあるので、町の人に尋ね訪ねして、それらしき家にたどり着き、再会を果たす。律儀な人というより、両足で「友有り」を実行した人です。

学友は、ごく当たり前に、空気のように存在しているため、孔子が指摘するように、その重さを顧みるべきではないだろうか。『論語』の第一篇は、「奥の細道」を読んで、はじめて理解できた気がする。『素問』も『霊枢』も、時間がかかればかかるほど、味わい深くなる。

0 件のコメント:

コメントを投稿