2012年12月3日月曜日

簡を用いる者は日々に精し

用方簡者、其術日精、用方繁者、其術日粗、世医動、以簡為粗、以繁以精、哀矣哉、


 この文章は、和田東郭(1742--1803)先生の『蕉窓雑話』に挿入されている、和田先生の「医則」の一つである。少しばかり翻訳してみると。


「簡」簡単な治療をする人は、その医術は日増しに精妙となる。
「繁」複雑な治療をする人は、その医術は日増しに粗雑になる。
世の中の医者は、ややもすれば簡単な治療を粗雑とみなし、複雑な治療を精妙とみなしている。なんと哀しいことではないか。
 
 
 東洋医学が、精度を増すのは望ましいことだが、理論で修飾されていくのは、どうも恐い。200年前の和田先生の憂慮は、この辺りにあるのかも知れない。陰陽五行説は簡なのか、繁なのか、経脈説は簡なのか、繁なのか。そもそも、それを分別すること自体、繁なのであるが、それでも一度は分別しておかねばならない。
 
 興味深い記事に、鈴木育雄さんが『医道の日本』782号に書いたものがある。病院で鍼灸を担当したが、「実際は、難しく膨大な現代医学の勉強についていけず、また、小難しく結果のでない鍼灸に絶望」して、治療効果が上がらないのをなんとかしようと、「どんな診断がついていてもひとまず忘れて、ともかく症状を軽減する」方向に転換したところ、治療効果があがってきたという。まさに、簡繁の典型ではないだろうか。
 
 東洋医学で、なにが簡なのか。鍼灸の養成学校も増えて、鍼灸師も増えて、どんどん収拾が付かなくなっているいまこそ、足元を見直す時期のような気がする。
 
 
 
 
 
 

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