2012年11月21日水曜日

之れを約するに

君子は、博く文を学び、之れを約するに礼を以てせば、また以て畔(そむ)かざるか。

 孔子の塾では、学ぶことが奨励されている。これは、現在の私たちも同様で、学校で学ぶだけでなく、あらゆる情報が津波のように押し寄せてくる。そのとき、それらの知識や情報を、要約するルールがなければ、支離滅裂、てんでんばらばら、収拾が付かなくなる。

 格好の例が、鍼灸の治療。言い換えれば、先生の数だけ流派があるようなもので、たくさん学んでも、要約できないのであれば、あまり役立たないような気がする。
 
 

 さて、どんなルールで、鍼灸術を要約すればよいのだろうか。それが「礼」だとすれば『論語』を、それが「自然」だとすれば『老子』を、それが、「陰陽五行」だというならば、『内経』を、読まねばならない。そういう意味では、古典は、欠くべからざる至宝なのである。
 

 一番大事なところを粗略にして、技術ばかりに心を捕らわれていては、まるで砂上楼閣のようで、危ういのではないか。

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